お店に行ったら、観葉植物の鉢植えがたくさん並んでいた。
水やりとかはどうすればいいのだろう。
最近、植物を育てていないからよくわからない。
お店のカウンターに行って僕は質問した。
「観葉植物の鉢植えがありますが、あれ、水やりはどうすればいいのですか。見た感じ特殊な培養液のようなものが砂にしみこませてあるようにも見えますが」と。
カウンター越しに店員の方が言った。
「水やりは必要ありません。たまに、ちょっと手入れがいるだけです」と。
ちょっと手入れって、何をすればいいのだろう。観葉植物でも、そのちょっとの手入れを怠ると枯れてしまうし と僕は思った。
でも、そういう手入れの仕方って、相手は生き物だから、係の人も一言で説明するのは難しいだろうと思った。
それならば、聞くよりも一般的な手入れの仕方を書いた手引書があれば、それを読んで自分で考えたほうがいいと思った。
生き物の世話は、結局は自己責任だからと。
それで、僕は係の人に「手入れの仕方が書いたしおりのようなものはありますか」と質問した。
すると係の方は、ちょっとそれはないし、、、というような困った顔になり、隣にいた別の係の子に目配せして助けを求めた。
すると、その別の係の子が僕に言った
「あれは、造花なので、水やりもいらないし、手入れと言っても特にありません」と。
「あっ そうですか。それなら、もうたまに例えばはたきでほこりを払う程度でいいんですね」と僕は言った。
「そうです」と係の子は言った。
なんだ、造花だったのか。相手が植物という生き物だと思ったから、難しく考えてしまったと僕は思った。
それなら、最初から、造花なので水やりはいりませんと言ってくれれば、すぐに理解できたのにと。
それで、もう一度、観葉植物が陳列してある場所に行ってみると確かに、造花だ。
いつも百円ショップの造花を見慣れているから、精巧にできた造花で、しかも、本物に見えるようなライトアップがしてあったからつい見間違いをしてしまった。
あと、視力というのとは、ちょっと別の次元の話と思うけれど、きっと加齢によって、目が像をとらえるときの解像度が落ちているから、錯覚をおこしやすいのかなと感じた。
僕も係の人が造花と最初から言わないのは説明がうまくないと思った。
水やりのことを心配している時点で、僕が造花のことを、本物の植物と勘違いしていることは、かなり明白にわかるはずだから。
でも、係の人は、係の人で、きっと、あのおっさん、造花を本物と思い込んでたわ と二人で笑っている可能性も高いと思った。
コロナで、カウンターに透明プラスチックのシールドが設けられていて、話も細かいニュアンスがお互いに聞き取れなかったこともあるだろうし。
世の中のシステムが複雑になって、お店もバイトなど非正規雇用の人が多いだろうし。
何かと、売る方も買う方も思い切ってものが言えない時代だなと思う。
昭和の時代のお店だったら、「あの植物は、ビニールかプラスチックでできてますから、水やりも手入れもいりませんよ。たまに ほこりを払えば 大丈夫です」で、すんでいた話だと思う。
本当に時代が変わったものだなと思う。
水やりとかはどうすればいいのだろう。
最近、植物を育てていないからよくわからない。
お店のカウンターに行って僕は質問した。
「観葉植物の鉢植えがありますが、あれ、水やりはどうすればいいのですか。見た感じ特殊な培養液のようなものが砂にしみこませてあるようにも見えますが」と。
カウンター越しに店員の方が言った。
「水やりは必要ありません。たまに、ちょっと手入れがいるだけです」と。
ちょっと手入れって、何をすればいいのだろう。観葉植物でも、そのちょっとの手入れを怠ると枯れてしまうし と僕は思った。
でも、そういう手入れの仕方って、相手は生き物だから、係の人も一言で説明するのは難しいだろうと思った。
それならば、聞くよりも一般的な手入れの仕方を書いた手引書があれば、それを読んで自分で考えたほうがいいと思った。
生き物の世話は、結局は自己責任だからと。
それで、僕は係の人に「手入れの仕方が書いたしおりのようなものはありますか」と質問した。
すると係の方は、ちょっとそれはないし、、、というような困った顔になり、隣にいた別の係の子に目配せして助けを求めた。
すると、その別の係の子が僕に言った
「あれは、造花なので、水やりもいらないし、手入れと言っても特にありません」と。
「あっ そうですか。それなら、もうたまに例えばはたきでほこりを払う程度でいいんですね」と僕は言った。
「そうです」と係の子は言った。
なんだ、造花だったのか。相手が植物という生き物だと思ったから、難しく考えてしまったと僕は思った。
それなら、最初から、造花なので水やりはいりませんと言ってくれれば、すぐに理解できたのにと。
それで、もう一度、観葉植物が陳列してある場所に行ってみると確かに、造花だ。
いつも百円ショップの造花を見慣れているから、精巧にできた造花で、しかも、本物に見えるようなライトアップがしてあったからつい見間違いをしてしまった。
あと、視力というのとは、ちょっと別の次元の話と思うけれど、きっと加齢によって、目が像をとらえるときの解像度が落ちているから、錯覚をおこしやすいのかなと感じた。
僕も係の人が造花と最初から言わないのは説明がうまくないと思った。
水やりのことを心配している時点で、僕が造花のことを、本物の植物と勘違いしていることは、かなり明白にわかるはずだから。
でも、係の人は、係の人で、きっと、あのおっさん、造花を本物と思い込んでたわ と二人で笑っている可能性も高いと思った。
コロナで、カウンターに透明プラスチックのシールドが設けられていて、話も細かいニュアンスがお互いに聞き取れなかったこともあるだろうし。
世の中のシステムが複雑になって、お店もバイトなど非正規雇用の人が多いだろうし。
何かと、売る方も買う方も思い切ってものが言えない時代だなと思う。
昭和の時代のお店だったら、「あの植物は、ビニールかプラスチックでできてますから、水やりも手入れもいりませんよ。たまに ほこりを払えば 大丈夫です」で、すんでいた話だと思う。
本当に時代が変わったものだなと思う。