ケンのブログ

日々の雑感や日記

名古屋フィルハーモニー特別演奏会を聴きに行く

2023年09月12日 | 音楽
8月31日 小林研一郎さんが名古屋フィルハーモニーを指揮されたコンサートに行った。


今までに 聴いたマーラー1番の演奏の中で きっと 僕にとっては最も素晴らしいと感じられた演奏だったと思う。

特に 楽章を問わず 音楽が静かで柔らかくなるところが神秘的というレベルだったように思う。

こういう演奏を聴くと やっぱり人間80歳を過ぎてから初めてできることもあるのかなと思う。

小林研一郎さんは80歳過ぎてはるらしいし、、、。

ステージには見慣れない管楽器もいろいろあって、プログラムの楽器編成を見るとひとりの人がいろいろ楽器を持ち替えて演奏するという主旨のことが書いてあった。

第一楽章はプログラムの楽曲解説に下行四度と書いてある かっこうのさえずりのような音型が 様々な形で出てくるさまも生演奏だとよくわかってそれも楽しみの一つだった。

家に帰ってきて 楽曲解説を見ると この下行四度という表現が一楽章から三楽章の各楽章に出てくる。

そういわれてみれば と思って演奏を振り返ってみると確かに二楽章で絶えず繰り返されるリズムも 三楽章でティンパニーが静かに刻むリズムもそうだなと気づく。

普段 あまり 意識したことがなかったので。

そして しばしば旋律の中にも この下行四度が出てくることにも思いが至る。

マーラーの1番って どこか 習作的というか まとまりのないところのある曲だなと思っていた時期もあるけれど 実際に 生で演奏を聴いてみると そんなことはない こうした リズムの刻みかたをはじめとして きっと いろんなところで統一性が図られているんだなと思った。

一楽章や四楽章の 金管楽器のクライマックスも とても 迫力があってしびれた。

ただ、音が 大きいというより その大きな音に 壮大な感じが出ているところが素晴らしいと思った。

第四楽章は 若いころ 一度クライマックスがあって また 盛り下がって 最後にもう一度クライマックス。

なんで 一度クライマックスがあった後で盛り下がるんや と思っていた時期があった。

しかし 生演奏で聴いてみると 一回目のクライマックスの後で 第一楽章を回想していることがよくわかる。

そうか 音楽的頂点を一度作った後で 一楽章を回想するのか と思った。

ベートーヴェンの交響曲第5番では 第四楽章で一度歓喜のクライマックスを作った後 第三楽章を回想する場面があるけれど クライマックスの後で 音楽の 過去を回想するという発想は基本的に同じかもしれないと思った。

演奏が終わった後 小林研一郎さんは 第三楽章でソロを弾かれた女性のコントラバス奏者の方へ歩んで行かれた。

なんだかそのときの足取りに小林研一郎さんの年輪を感じるような思いになった。

僕も演奏を聴き終わった後 一生に何度も聴ける演奏ではないと 思ったけれど 小林研一郎さんも 演奏後にマイクを握って 要するに 「めったに聴けないような演奏を名フィルがしてくれた」という主旨のことをおっしゃっていた。

「僕がこうやって出てくると 皆さん 何か(アンコール)を演奏するのではないかと思われるでしょうが この後に 何か別のものを演奏して マーラーの壮大な印象を損ないたくない なので マーラー1番の最後の壮大なところをもう一度 演奏します」という主旨のことをおっしゃって 第四楽章の最後のところをもう一度やってくださった。

もう一度やった 曲のコーダは 最初の時よりもさらに 迫力があるように僕の耳には聴こえた。

1980年代に 東京 新宿の厚生年金ホールで 小林研一郎さんの指揮で ドボルザークの交響曲第8番 「イギリス」を聴いたとき 研一郎さんは この曲の第四楽章のテーマが曲の終盤に向けて 速いリズムで提示されるところから もう一度 演奏してくださったことがあった。

その時のことも 思い出して しばし ノスタルジックな気分にもなった。

あの時のオーケストラは どの オケだっただろう たぶん 読売日本交響楽団だったと思うけれど そこは 記憶があやふやに なってしまった。

本当に いい コンサートだったなと思う。

コンサートの前半にはルゥオ ジャチンさんのピアノで グリーグのピアノ協奏曲作品16が演奏されたけれど これも また 素晴らしい演奏でよかった。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを 第一に 願っていきたい。





 



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