8月24日という日付を見て地蔵盆だなと思う。
子供のころは岐阜で育ったので地蔵盆という言葉は知らなくて地蔵まつりと思っていた。僕の故郷では地蔵盆という言葉はあまり使わなくて地蔵まつりという場合が多かった。
こどもが主役で、町内の子供が集まって あんめえ だんべえ ろうそくや線香はお志に献じられます という文句を独特の抑揚で唱えていた。
今は僕の故郷はどうなっているのだろう。そういう話をあまり聞かないしちょっとネットで調べたくらいではなかなかわからない。
関西に来てから地蔵盆という言葉を僕も使うようになったけれど今年はどうなったのだろう、ネットを見ると地味にパラパラとニュースサイトが出ているけれど、よく読んでいない。
見出しだけを見ると自粛ムードの中で規模を縮小して行われたような感じだけれど。
しかし、地蔵盆、地蔵まつりという言葉を思うと、夏ももう終わりだなと思う。
実際、昼間は猛烈な残暑だけれど、夜になると秋の虫が鳴いている。
何日か前に、人類の食糧不足をカバーするために昆虫が着目されているという記事が新聞に載っていた。
イナゴとかそういう種類の昆虫は育てやすいし将来食糧不足の救世主になりうるかもというような内容だった。
イナゴもコオロギなど秋の虫も大きく言えば同じ系統の虫だなと思う。
虫も食用に期待されていい迷惑かもしれない。
まあ、そんなことは知らずに鳴いているとは思うけれど。
昆虫を食すというと、子供の頃、食べた蜂の子ご飯を思い出す。そんなにしょちゅう食べたわけではないし、僕の母も、祖母もそんなに自分から積極的に蜂の子ご飯を作るという習慣はなかったから、知り合いの方からのいただきものを年に何回か、本当にたまに食べるという感じだった。
まあ、それなりにおいしかったけれど。
イナゴの佃煮もたまに知り合いの方が持ってきてくださったものを食べたけれど、まずいとはおもわなかったけれど、イナゴの形がそのままわかるのでなんだかちょっと気味が悪いなと思って食べていた記憶がある。
昆虫といえば、世界で昆虫が激減していて、こういうのを放置しておくと深刻な生態系の破壊が起きるという。
ドイツでは昆虫を守るために、夜間の照明などを規制する法律ができたか、そういう法整備を検討中であるというような新聞記事を最近読んだ記憶がある。
それは昆虫は例えば花粉を運んだりするので昆虫がいないと植物にも影響が出てしまう。まあ僕が昆虫が生態系に及ぼす影響と言ってわかるのはせいぜいそのくらいだけれど、それは詳しい人から見たらもう本当に深刻な事態なのだと思う。
手などもあまり、薬用石鹸で洗いすぎると手を弱酸性に保ち、細菌から守る働きをする表皮ブドウ球菌という菌も手からすっかり洗い流されてしまって、逆に手が悪い菌などに侵される可能性が高くなるという記事が何日か前にどこかに出ていた。
やはり、何事もほどほどということが大切なのだろう。
僕も、お店の前にアルコール消毒スプレーがおいてある場合は必ずアルコールを手に刷り込むまで消毒するという習慣にしていたけれど、最近そこまですると手がひりひりしてくるようになったので、もう、ちょっとだけアルコールを手にかけて気持ちだけ消毒するという感じに変わってきた。
流水での手洗いを30秒まではいかなくても20秒くらいはするというのは今でも続けているけれど。
今日、駅のトイレでお茶でうがいしている若い男の人がいた。
きっとその人なりに何か情報を得てそういう、うがいをしているんだろうなと思った。
やはりみんなそれぞれにいろいろ工夫しているんだなと思う。