ケンのブログ

日々の雑感や日記

人工知能の音楽

2019年10月25日 | 音楽
昨日は随分雨が降り、今日も曇り模様のお天気になっている。
おかげで気温が随分下がった。
僕は動くとわりとすぐに暑くなる体質だけれど
暑いと思って脱いでじっとしていると
まもなく寒くなってまた着ると言う状態になっている。
脱いだり着たり忙しい季節だなと思うけれど
それでもやはりだんだん寒くなってくるんだなと
かなりリアルに思えるようになった。

昨日ラジオを聞いていたら美空ひばりさんの晩年の
ヒットソングの作詞をした方がプロデュースして
人工知能によってひばりさんのすがたや
歌声を再現するという試みがなされたのだという。
もちろん人工知能を実際に運用するための
実験としてこのようなことをするのは
大切と思う。
このような試みで明らかなった事柄を
もとに人工知能を改良しより役立つものにするということは
学問の進歩のためには欠かせない。
しかし、なんか一方でそんな人工的に
再現されたひばりさんを見るのもなんか
味気ないだろうなと想像してしまった。

何日か前にブルーノ ワルターという指揮者が
1950年代にブラームスの交響曲第2番を
ニューヨークフィルと演奏して録音したCDを聴いた。
この時代の演奏ってワルターのものに限らず
今と比べると随分思いきった表現のものが多いように思う。
音が乱れるのを恐れて小さくまとまるよりも
しっかりと演奏しようという気迫が感じられて
なんとも言えない気持ちになる。
それに、言うまでもないことだけれど
この時代のニューヨークフィルは結構うまい。
第四楽章の気品と気迫が共存した演奏を聴いて
僕が小学校5年生くらいの時にこのレコードが
廉価版で発売され、その帯に
「第四楽章の圧倒的迫力に接した聴衆は
ワルターを女性的と評することがいかに不当かを知るであろう」という感じの
キャッチコピーが書かれていたことを思い出した。
レコードのキャッチコピーって
宣伝のためのものだから内容はあてにならないけれど
あのときのキャッチコピーは本当に
演奏そのものをよく形容したものだったなと思う。
それにコピーの表現に時代が感じられる。
ちなみにこの当時、オイルショックの影響で
1000円で買えた廉価盤が
1200円に値上がりしてしまった。
それこそ僕にとってはショックだったから
そのことはいまだに覚えている。
しかし、現在でも1950年代の音源のCDは
だいたい1200円くらいで買えるから
そういう意味ではCDも安くなったものだなと思う。
もちろんこれはクラシックやジャズの録音の古いものに
限った話かもしれないけれど。

一流の指揮者の交響曲の演奏は
おとの数が多いしニュアンスは微妙だし
これを人工知能で再現というのはナンセンスなんだろうなと思う。





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