今、知床半島の観光船で痛ましい事故のニュースが現在進行形で流れている。
母が たまたまテレビを見ていなかった父に
「北海道で観光船の事故があったよ」と言った。
「北海道ってどこや」と父が言った。
「なんしか 北海道」と母。
そのとき父は絶句したらしい。
何十年も国際航路で船に乗っていた父にとっては、北海道 だけでは何の情報にもならないらしい。それはそうだと思う。
先日 ちょっと路線検索をしてみて 僕が今、すんでいるところから、京都の河原町まで新幹線を使わずに行くと 大体三時間半くらいかかることが分かった。
それで、昔、北海道に旅行に行った時のことを思い出して 札幌と釧路はどのくらいかかるか調べてみたら、特急に乗っても、約5時間かかることがわかった。
そう考えれば、京都河原町まで新幹線を使わずに三時間半は遠くないかと妙に自分を納得させた。
朝 九時に家を出ても正午過ぎには河原町につくわけだから、、、。
それで1990年代前半の夏、北海道に 旅行に行った時のことを思い出した。
札幌で時刻表を見て釧路までは案外時間がかかるということで、途中の帯広で一泊か二泊して釧路に行ったのだと思う。
釧路でお寿司屋さんに入った。
カウンターで地元のおじさんと隣になった。
おじさんは 「これから どこに行く予定なの?」と僕に言った。
「特に決めてないんですよ。ガイドブックを見ながらの自由旅行ですから」と僕は言った。
すると「知床半島の観光船にのって かもめを間近にみるのもいいかもよ。かもめは本当に船と一緒についてくるから」とおじさんは言った。
それで、よし、知床半島に行って観光船に乗ろうと思った。
もし おじさんが 知床半島で船に乗ったら いるかに出会えるかも とか ヒグマが見られるかもと言ったら 僕はきっと知床の観光船に乗りにいかなかった気がする。
「かもめを間近に見るのもいいかも」 というおじさんの言葉にひかれた。
中島みゆきさんの「渚便り」という歌に
「波とたわむれながら かもめが一羽」というフレーズがある。
ここを見たとき、「かもめを間近に見るのもいいかも」という釧路のおじさんの言葉を思い出し、ああ、中島みゆきさんも北海道の出身なんだなとしみじみと思った。
実際にかもめとたわむれた経験がなければ、かもめが一羽 という詞は書けないと思うから、、、。
釧路から知床半島に行くには まず 釧網本線に乗って斜里(現 知床斜里)という知床半島のオホーツク海側の付け根の位置にある駅まで行く。
そこから、知床半島のウトロまでいってそこから知床観光船に乗ることになる。
斜里の駅に着いた時、そこからバスでウトロまでいくと ぎりぎり観光船の出発に間に合わないことが分かった。
それで 斜里の観光案内の女性に「タクシーで行ったら、ウトロで知床観光船にまにあいますかねえ?」と尋ねたら
女性は「さあ?法定速度で行ったら間に合わないと思いますが、、、」という何ともとらえどころのない返答をされた。
まあ、バスで行ったら間に合わないということは 法定速度で行ったら間に合わないのと意味は近似なので観光案内所の女性のおっしゃる通りなのだけれど。
また、観光案内所ではバスが間に合わないのにタクシーなら間に合うなどど無責任なことは言えないだろうし。
それで、ままよ、タクシーの運転手に聞けばわかることと思い、タクシー乗り場に行って、運転手にウトロで知床観光船に乗りたいけれどバスだとぎりぎり間に合わない事情を話した。
すると運転手は僕に「間に合わせてやるよ」と言った。
その一言が僕にはとても力強く温かい言葉に聞こえた。
タクシーでダメなら僕は知床で観光船に乗ることをあきらめるしかないわけだから。
「間に合わせてやるよ」 あの運転手の言葉の響き 今も耳に残っている。
実際ウトロでは観光船の出航の20分くらい前につき 切符を買って船に乗るのに十分時間があった。
観光船は こんかい遭難したらしい観光船と全く同じルート つまりウトロから知床半島の先端で折り返し また ウトロに戻るというものだった。
釧路のおじさんの言う通り ずっと かもめが船についてきた。
あと 船ではずっと松山千春さんの 「オホーツクの海」が繰り返し繰り返し流れていたので船を降りる頃にはメロディ全体を覚えてしまっていた。
あの歌は 観光船から見る 知床の海 そして半島の雰囲気にマッチしているなあと思った。
知床観光船の遭難に関する経過がすこしでも穏やかなものであることを祈ります。
↓松山千春さんの「オホーツクの海」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音しました。