ケンのブログ

日々の雑感や日記

あまり徹底的に人を叩くのもしんどいと感じる

2021年02月12日 | 日記
僕が学生の頃、外書講読を担当しているある先生がこんなことを言っていた。

「みんなは、わからない単語を辞書で引くという感覚の人が多いと思います。
しかし、実は辞書というのはわからないから引くのではなく、わかっていなければ引くことはできません。

なぜならば、辞書で単語を引くと多くの訳語が出てくる。その訳語のどれがその文脈における適切な意味なのかを判断するためには、文脈がわかっていなければならないからです。

つまり、辞書というのは文脈がわかっていなければ引くことができないわけです。また、このことから逆に、辞書を引くことが文脈を把握する思考力を養うことになります。なぜなら、辞書は文脈がわかっていなければひくことができないからです」と。

およそ、そういう主旨のことを先生が話していて、僕はなるほどと思ったし、意味深いことをおっしゃる先生だなと思った。

言葉というのは文脈があってこそ意味をなす。

特定の、センテンス、単語だけ取り出して文脈を見ないで、それをあげつらうととんでもない誤解が生じるだけでなく、文章を書いた人、あるいは発言をした人に対して、著しく失礼と言うか、不当なことをしていることになる。

そういうことを、常に意識することが大切だと、学生の頃、かなり教わったように思うし、僕も事実そのとおりだと思っている。

さて、今、新聞などで女性蔑視発言と言われている森元首相の発言の全文は、ネットで調べると次のようになっている。

以下森元首相の発言の全文です。

「これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。

これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います。  

女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。

結局女性っていうのはそういう、あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。

 私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を射た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです」

「私どもの組織委員会にも、女性は何人かいますが、みんなわきまえておられます」 という下りは森さんの、俺達の組織の女性は違うんだぜ、という自負心とも受け取れるし、女性一般は話が長いけれど、俺達の組織では、ちゃんとまとめて話す能力のある女性を選んでいる、という内輪の自慢話にも受け止められるように思う。

ただ、森さんの発言全文を読むと、その発言に「女性蔑視発言」あるいは「女性蔑視と受け取れる発言」というレッテルを貼って、徹底的に森さんのことを叩いてしまう、という世の中のあり方のほうが、森さんの発言内容よりももっと怖いというか閉塞感のあるもののように僕には思えてくる。

新聞を読んでいると、 
「森さんの尽力で、男女の隔たりのあった競技種目数が東京五輪で初めて同数になった。パラリンピックのカヌーにも理解があったのに残念だ」 とか

「縦割りの行政に横軸を通し、調整できるのが森会長の一番の強みだった。政府の全面的な支援を得られるか、後任の会長は難しい対応を迫られるだろう」 と指摘している人もいる。

また森さんがラグビー協会の女性理事を5人に増やしたときに女性理事に選任された方は次のように言っておられる。

「(森さんが組織を改めて、女性理事に私はなったので)森さんの発言を聞いた当初は、点と点がつながらなかった。新しい顔にすげかえて終わりではない。森さんだけの責任にすると本質を見誤る」と。

まあ、僕が読んでいる新聞は、一般に自民党よりと言われている新聞だから、こういう森さんを養護する発言も紹介されている面はあると思う。

しかし、それでも僕は、ここまで森さんのことを叩ききってしまう世の中にもなんとなく閉塞感を感じてしまう。

もう少し、人の発言を寛容にと言うか、幅を持って受け止めたほうがいいように思う。

みんなが、森さんはあかんと言っているときにこんなこと書くことは不謹慎だとは思うけれど、、、。

女性理事を4割という数字的な目標の達成ということが優先順位の上位に来て、無理に4割にした結果、結局、男も女もともに困ることになってしまった、というのもまた世の中にありがちな話でもあるだろうし、、、。