ケンのブログ

日々の雑感や日記

桃の節句も近く

2021年02月27日 | 日記
スーパーマーケットの花売り場には半月ほど前から桃の花が出ている。

ずっと桃の花単独で出ていたけれど。今日見ると、桃の花とカーネーション、菜の花などを組み合わせた花束になっているものが多く売られている。


桃の節句が近いなと思う。

何年か前にこのスーパーで桃の花を買ってきてペットボトルにさしてみたけれど、やはりなんとも味気ない。

桃の花も雛人形と組み合わせてこそ ということになるのだろうか。

まあ、そういうのは工夫次第だと思うけれど。そういうのを工夫する才能は僕には全くないようだ。

雛人形、京都の街を歩いていて、人形店のショーウインドウに出ている、人形を見る。

ああ、きれいなお人形と思ってちらっと値札を見ると、男の感覚では、人形の値段と言うよりも、ちょっとした中古自動車の価格かと思うような値段がついていたりして トホホ。

しかし、おかげさまで僕には所有欲というのがそれほどないので、きれいな人形はショーウインドウを拝めばそれで十分と思えたりする。

文字通りウインドウショッピングだったりして、、、。

絵なども混雑した美術館で見るよりも、普通の書店で買えるような画集を落ち着いて見るほうが好きだったりして、、、。

雛人形は、下町にある阪急電鉄のある駅の売店の横のガラスケースに紙で作ったお内裏様とお雛様が飾ってあって、ああいうのもいい風情だなと思う。

嬉しいひな祭りの歌もスーパーマーケットでは流れている。

“”着物を着替えて帯締めて、今日は私の晴れ姿“”

というフレーズがこの歌の歌詞の中にある。

このフレーズが、僕とても好き。

例えばことわざに、勝って兜の緒をしめよ というのがあるし、
別にことわざではないけれど ふんどしを締めるという言葉もある。

帯を締めるというのはその女性バージョンなのだと思う。

帯を締めるという感覚を私達日本人はともすれば今忘れてしまっているように僕には思える。

しかし、それはきっと、心にとっても体にとってもとても大切なことであるように僕には思える。

そして、それは、いわゆる気合を入れるという感覚にとても近いものだと僕は思う。

そういう感覚ならば、日本人なら男でも女でも共有できるものではないだろうか。

何日か前にスーパーマーケットに名刺サイズの広告が置いてあって、そこには「お届けしたいのは女心です」と書いてあった。

ええ? スーパーマーケットの広告でなんでお届けしたいのは女心やの?と思ってよく見ると
「お届けしたいのは安心です」の間違いだった。

目が老眼かつ近眼なので、安心が女心に見えてしまった。

しかし、女心と安心を読み間違えて気づいたのだけれど 安心の安はウかんむりに女と書くんだなとしみじみと思った。

ウかんむりは家を表すと言う。つまり家に女と書いて安らかということか と思う。

今どき、時代遅れと言われるかも知れないけれど、家に女と書いて安 という漢字が成り立っている気持ちはよくわかるなと思う。

漢字の成り立ちといえば、新渡戸稲造という人は「武士道」という書物の中で、女に少ないと書いて「妙」 つまり女性の身体の美しさと 繊細な発想は、男性の粗雑な心理的理解力では説明できない。

という意味のことを書いている。

そう言われればそうだなと思う。

夜空を見ると満月が出ている。月齢を見ると15.3となっている。まさに満月だな。午後10時頃眺めたら月が天空のかなり高いところに来ていた。

どうぞ毎日、無事にすごせますようにとそれを一番に願っている。