ケンのブログ

日々の雑感や日記

アラートって何?

2020年06月03日 | 読書
芹沢光治良さんの人間の運命という小説に次のような文章がある。

‘’K教授は帝大を銀時計で卒業後、農商務省の役人をして、大臣と意見の衝突をし、新聞に大臣に対する抗議文を派手に発表して辞任して、間もなく帝国大学に迎えられ、一年間の留学から帰朝して、今年四月の新学年から、経済学部では経済思想史を講義した。

学生の間には大評判で、自分も胸をはずませて聴講したが、第一回目には教授は参考書を両脇にかかえて、さっそうと教壇に登り、おもむろに参考書を机上にうず高く積んで、まず著者と書名を次々と黒板に書いては、その書物はこれだと、一冊づつ学生に示した。それが大きな身振りのようで、好感を持てなかった。

それから講義をはじめたがテノールのような声で、一高の弁論部の演説のように美文を朗々と語るので、驚いた。美男子で背も高く、洋服の好みも渋くてよく、聴講していて、胸のすくほど愉しかったが、三回聴講して、僕は大学の講義ではないと考えてやめた。美文にかざられて内容が空虚に感じられたからだが、同じ時間にある高野教授の地味な統計学を聴くことにした。‘’

もしこの小説の主人公、森次郎が芹沢光治良さんの投影であるとすると、本当に芹沢光治良さんらしい判断だと思う。

東京アラートという言葉を新聞で見た時、東京アラートって何? って思った。意味がわかるようでわからない。なんか、気取った表現の割には中身のわからない言葉。具体的に何を言っているのかイメージしにくい言葉と思った。

過去の災害から学んだ教訓として外国人に危機を伝える時、へたに英語に訳すよりも簡単な日本語で表現したほうが誤解を生むことなく外国人に正確な情報が伝わるという話を数日前に新聞で読んた。

例えば避難所という言葉を英語に訳すよりも「みんなが逃げるところ」という簡単な日本語で書いたり言ったりしたほうが外国人にはわかりやすい。という主旨のことがその記事には書かれていた。

東京アラートという言葉をみたときそのことを思い出した。どういう意図で東京アラートっていう言葉を使っているんだろう。もちろん言葉を使う人にはちゃんとした説明は用意されているのだろうけれど、、、。

アラートの意味を僕の手元にある用例を元に語義を説明するタイプの英英辞典で調べると次のようになっている。

彼は年齢の割にとてもアラートだ。 こういう場合のアラートはきっと賢いという意味だろう。

医者や親は病気の兆候にアラートでなければならない。 こういう場合のアラートはきっとしかるべき注意を払うという意味なのだろう。

私の近所の人は車が壊れているのを見て警察にアラートした。 こういう場合のアラートはきっと警察に通報するという意味なのだろう。

私達は人々に川で泳ぐなとアラートする。 こういう場合のアラートはきっと警告するという意味なのだろう。

いくつかの川に洪水アラートが出た。 こういうい場合のアラートはきっと警報という意味なのだろう。洪水警報という意味。

このように用例をいくつか並べることでアラートとはしかるべき危険に対し注意を払い、またその情報を他者に伝える、他者と共有するという包括的な意味は見えてくるとは思う。

しかし、そんなに用例を並べないと包括的に語義を理解できない言葉というのはなんかコロナのような災厄の時の用語としては不適切でどことなく空虚、そして言葉としての品格をとても欠くように僕には思える。

言葉の意味の取り違えにより生まれる危険も考慮に入れないといけないときだから。

芹沢光治良が創作した森次郎だったらどう思うだろうとふと考えてしまった。

まあ、こまかい言葉遣いに文句を言っているときではないとは思うけれど、、、。

危険に注意を払わなくてはならないときなので。僕もいろいろとアラートしていきたいとは思う。