長岡京の駅で電車をまっていたらおばちゃんが準急はみなせに止まりますかと僕に聞いてきた。
止まりますよと僕は言った。
準急はたかつきまで各駅停車なんですと言おうと思ったけれど話がややこしくなっても困ると思ってやめた。
みなせにとまることさえわかれば困ることはない。
みなせでおばちゃんも降りて僕も降りた。おばちゃんは僕になにか言ったけれど何を言ったのかわからなかったので「そうですね」と僕が生返事をしたら
おばちゃんはそれが生返事だとわかったらしくちょっと大きい声で
「あんた、スマートやねえ」と言い直した。
「それはどうもありがとうございます」と僕は言った。
やっぱりたとえおばちゃんとはいえ女性にスマートやねえと言ってもらえるとうれしい。
おばちゃんは僕がホームでカバンのチャックを締め直しているうちにエレベーターの方へ歩いていったけれどおばちゃんがもたもたしているうちに僕が階段で降りて下には先についていた。
「やっぱり若い人はスピードが違うねえ」とおばちゃんは言った。
僕は無言でにやけていたけれどおばちゃんには僕のことが何歳くらいに写っているんだろうとおもった。
たまには貫禄ありますねえと言ってほしい気もするけれど、僕くらいの歳で貫禄あると言われるとメタボで脂ぎっているということになるのかもしれない。
まあ、なるべくものごとはいいように受け止めていきたいとは思うけれど。
ここ何日か亡くなられた横田滋さんの在りし日の写真が新聞に載っている。
断腸の思いとか、そういう言葉が新聞によく載っていてそれは本当だと思うけれど、横田さんの人生は絶対に大きな意味のあるものなのだと僕は思う。
悲しみの家は楽しみの家にまさるという言葉が確か旧約聖書の箴言にあったけれど、本当にげらげら笑い転げている人の顔を見るよりも記者会見で真摯に答えておられる横田滋さんの姿を見ている方がよほど心が慰められる思いになったこともある。
ご冥福をお祈りしたいと思う。