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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

キウイとの格闘終了す

2019-01-11 18:15:01 | 農作業・野菜

 ツル植物は手ごわい。キウイのジャングルもなんだかんだで剪定に一週間近くかかった。それがやっと終了した。毎日のように朝食でいただいているキウイへのお礼に追肥をするとともに、かなり大胆に強剪定を行う。

           

 太さ10cm以上はある変形幹も伐ってしまったがやはりやり過ぎてしまって空白の空間ができてしまった。キウイジャングルは縦横無尽に伸びているので1本1本確認して伐らないと失敗してきた教訓があるのに。キウイの剪定は焦ってはいけないのだ。他の枝を無理に誘引して空白を埋める。

      

 キウイ棚の下は剪定した枝で埋まり始め歩くのも危険な状態になった。紆余曲折の人生は確かな味もあるが全身傷だらけでもある。傷をバネに旨みを獲得していくのが生きる醍醐味というものに違いない。自他を傷つけないようブツブツあてつけを言いながら作業を敢行していく。

      

 一部はガーデンシュレッダーにかけようと枝を運搬する。しかしシュレッダーの調子が悪くやっぱり思う通りに行かない現実にストレスが溜まる。このジャングル材を焚き火にするかそれともシュレッダー修理に向かうか、その周辺の手間をめぐり海馬が混乱する。

       

 とりあえずきょうでキウイ剪定と誘引作業とを終えることにする。寒風の中ではさすが作業は辛いものがあるが、出荷するつもりがないので適当に中断して暖を取れるのが気楽稼業というものだ。そうして炬燵にあたりながらキウイの甘酸っぱさをいそいそと口中に取り入れる「日日是好日」デイとなる。

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千葉市のマンホールを観た

2019-01-10 17:57:33 | 路上観察

 千葉市に行ったときにたまたま発見したマンホール。ノンカラー版で、中央に孤を描く円は6つの「区」を表す。同時にそれは交流と情報発信基地を意味するコミュニケーションマークでもあるという。そして三つの大きな円環それぞれのパートに千葉市のシンボルの区分がされている。下水である「合流」槽が漢字で明記されている。

 

             

 同じデザインでもホワイト版を発見。こちらはひらがなで「おすい」と明記されている。古代の蓮の種を復活させた大賀博士にちなんだ「大賀蓮」の花(市の花)を周りに配置。次に海岸にやってくる希少種の渡り鳥「コアジサシ」(市の鳥)、コーヒー豆みたいな葉なのだろうか市内でいちばん多いケヤキ(市の木)を配している。

        

 青・ミズ・桃・白の4色カラーを使った「おすい」のマンホール。どうもケヤキのデザインに苦労しているようだ。ケヤキの姿は万歳型の立派な容姿をしているので林にしてしまうとケヤキらしさを失う。が、大賀蓮のデザインは成功している。

        

 黄・赤・水色カラーの消火栓マンホールも発見。上の方には「千葉県水道局章」の水マークがあり、中央にはしご車を大胆に描いている。多くのマンホール消防車は左向きが多いので右向きは希少種か?しかも、ビル街を背景に描いているのも珍しい。このところカラー版マンホールがはやりになってきてまちを歩く楽しみが増えてきた。とはいえ、中山間地に住んでいるとマンホールに出会う機会がないのがとても残念。 

    

   

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BOSSは稀釈コーヒーばかりか紅茶も

2019-01-09 20:14:54 | 特産品・モノ

 牛乳と割る希釈コーヒーをサントリーが売り出したのは2016年かららしい。初めて見てぐうたらのオイラにぴったりと飛びついてしまった。いわば、インスタントコーヒーの牛乳割のようなものだ。今まで、サントリーだけでも、甘さ控えめ・無糖・焦がしキャラメル・バナナラテと次々開発、ついにオイラはひと通り味わい、常備中毒の渦中にある。

 今度は、昨年4月から「紅茶ラテ」を売り出したのを最近発見。糖分が多いのが気になるがなかなかうまい。香りは本物にはかなわないが遜色ない味覚だ。ラテベースと牛乳は1:3の割合。1本(490ml)で10杯分飲める。パイプをくわえたボス(実在の人物ではない)も開発にはなかなか意欲的だ。

              

 サントリーを追いかけて「コカコーラシステム」も黙ってはいない。2018年4月にコーヒー専門店「猿田彦珈琲」が監修したヨーロッピアン濃縮コーヒーを売り出す。つい先日、340mlの小さなボトルを買って牛乳を入れて飲んでみる。さすがコーヒーの味がしっかり出ている。こちらのボトルは6倍濃縮なのでこれだけでも10杯分飲める。甘さ控えめと無糖の2種類がある。恵比寿に10坪ほどしかない本店の猿田彦珈琲もいつか飲みに行きたいものだ。

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ストイックな人生は『虚空遍歴』を辿るものか

2019-01-08 16:54:04 | 読書

 市井の隠居から出された課題図書・山本周五郎『虚空遍歴(上・下)』(新潮文庫、1966.9)をやっと読み終える。自作の端唄で有名になった主人公・沖也はそれでも満足せず、納得のいくまで浄瑠璃節に挑戦し、波瀾万丈の呻吟を経るが志なかばで倒れてしまう。作者は主人公をこれでもかと思えるくらいたびたび主人公を追い詰めて、結局のところ打倒してしまう。大衆小説にありがちなめでたしめでたしという爽快な終わり方ではなく、読者をなかなか安心させてくれない。

         

 そうしたストイックな冲也を側面から命がけで理解・援助していた女性が「おけい」だ。小説はその「おけい」の独白が黒子となって進行していく。ただし、その独白は、女性の言葉でなく作者そのものの男言葉であるのが違和感を感じた。とはいえ、その「おけい」なくして沖也の存在はない。それは耐え難い苦難を挺した山本周五郎の母の姿そのものであり感謝でもあるように思える。

              

 こうした沖也の死に対して、「人間の真価はなにを為したかではなく、何を為そうとしたかだ」という作者の人間観を表現している。沖也のぎりぎりの煩悶と苦闘は若き周五郎そのものの姿に違いない。

 「こんな片田舎にも人の嘆きや恨みがあり、涙や耐えがたい悶えがあるのだ。おそらく、人の生きているところならどんな山の中でも、同じようなことが絶えないに相違ない。それでもみんな生きてはいられるのだ。死ぬほどの悲しみの中でも、人間は食べたり眠ったりするし、やがてはその悲しみを忘れることができる。」という述懐は作者そのものの実感だ。「そういう辛い経験に、なにかの意味があるのだろうか」と問いかけているのが周五郎文学のルーツかも知れない。

    

 さらにいえば、「人間はみんなこんなふうに生きているのだろうか、…うれしいこと、楽しいことよりも、悲しみや、辛い苦しいことのほうが多いのに、どうしてみんな生きてゆかれるのだろうか。」と、作者の心の内を「おけい」に語らせる。ここのところに山本周五郎の苦悶とそれに裏うちされた「優しさ」と庶民への連帯感が沁み出してくる。隠居のおかげで山本周五郎の世界をますます探索したくなった。

    

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オーガニックなクッキーを堪能

2019-01-07 11:16:22 | 特産品・モノ

 近所のヤギ髭さんからオーガニックなクッキーをいただく。いかにも自然食品らしい手の込んだクッキーだった。あまりに旨いので6枚のクッキーを一気に食べてしまう。食べてしまってからそれぞれが個性的な素材からできていることを知る。しまったと思いネットで調べたら、musubi-yaのHPから同じものを発見、画像を借用する。

  

左上段から、プレーンのリスサブレ、麻炭・ヘンプのココナッツ、塩サブレ。下段は、紅茶とレーズンのクッキー、ココナッツとココアのサブレ、煎茶のガレット。製造は、京都・カイラスセイカのたばたゆうこさん。

 

 「カイラス」とはチベットの聖地カイラス山にちなんだもののように思える。たばたさんの手書きのラベルの字体はいかにもオーガニックな生き方が表現されている。実際、たばたさんのカフェでは、カリンバに似ているジンバブエの伝統楽器「ムビラ」の演奏会やワークショップなどのイベントもゆるりと行っている。

 ちなみに、アメリカ発祥の「クッキー」は、糖分・脂肪分が40%以上の焼き菓子。イギリス発祥の「ビスケット」は、その40%未満。フランス発祥の「サブレ」は、バター量多くビスケットよりサクサクの食感。フランスブルターニュ地方の郷土菓子「ガレット」は、平たく丸い焼き菓子の総称。「この差って何」の番組にピッタリの違いだが、食べる側としては名称はどうでもいいけどね。

 

 

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ひとり一人の生き方が日本の行方を左右する!

2019-01-06 19:12:58 | 意見・所感

 「朝日新聞」の元日号の特集では、AIで予測した日本の未来(2050年)は、大きく分けると地方分散型か都市集中型に分かれるという。昭和のシステムは、東京一極集中や単線型仕事人生に象徴される。持続可能な未来を形成するには、地域活力を生かしたエネルギー自給・地域交通などの政策変更をとるとともに、「自ら変わろうとする若者たちが」鍵となるという。「今はわずかな人々しか歩いていない踏み跡でも、この国の未来を導く道になる」と結んでいる。

 「社説」では、政治改革の結果は「安倍1強」体制に収斂されてしまったが、官邸の下請け機関と化した「国会」の惨状を憲法53条後段の「四分の一以上の議員要求」があれば臨時国会を開けるという仕組みをもっと利用すべきと問う。そのためにも、「政治に緊張感を持たせる最良の手段は、主権者が厳しい視線をたやさないこと」とまとめる。

  

 「毎日新聞」の1面では、主筆の小松浩氏が「過去の世代が何をなしたかに、あとの世代の生き方も運命づけられる」として、「いまさえよければ」と破滅に至った過去の歴史からわれわれは「未来へつなぐ責任」があると、問う。 

「社説」では淡路島の500人ほどの仁井地区では廃校を日本語学校に変え、外国人との交流と地域の活力が出てきた事例を紹介している。このことから、「議論をする。互いを認め合う。結論を受け入れる。リアルな肌ざわり省いたら民主主義は後退する。」と、AIのメカニズムとは違う民主主義のプロセスの多様性を提起している。

   「産経新聞」には国際基督教大学の森本あんり教授のインタビューを載せていた。  「トウモロコシが一つの品種になっていたら、一つの疫病で全滅しかねない。個人も社会も同じだ。打撃を受けた際、多様性があれば、被害を最小限に抑えて再起できる」と。

 5紙の社面から覗えることは、ひとり一人の自分なりの価値観・生き方をしっかり構築していくこと、その意味でのお互いの多様性を認め合うこと、ポピュリズムに迎合しない「知」の構築をたゆまぬこと、それらがこれからの社会を形成していくことだ、と思わせる新年だった。

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春菊とルッコラを防寒する

2019-01-05 21:32:33 | 農作業・野菜

 霜の影響か、春菊が元気がない。竹マルチだけでは防寒が難しかったことがわかる。ビニールトンネルは突風でいつも苦労しているので採用していない。そこで、あわてて枯れたススキを草刈機で伐ってくる。画像の4倍くらいのススキを運搬する。

           

 霜がなければとっても威勢が良かったが、さすが霜にはかなわない。竹マルチだけでは防寒は難しいのがわかった。となりのルッコラは意外に無事だった。ルッコラは寒さに強いということがわかった。

                

 春菊を埋めるように枯れたススキを敷いていく。何とか春までもってくれればいいのだが。太陽が春菊にまで届くかどうかも心配でもあるが。種を撒くのが遅かったうえに成長も遅かった。

     

 ルッコラには枯葉をかぶす。たまたま土嚢袋いっぱいに枯葉を取っておいたのが生かされた。後ほど、この土嚢袋にホオノキの枯葉を集めて補充しておく。空は雲一つない青空だった。

    

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柿の老木を強剪定する

2019-01-04 21:26:02 | 農作業・野菜

 庭に柿の木が2本ある。実は2年ごとになる。今年は成り年だが思い切って強剪定してみた。というのも、電線に枝が接触するのを回避したのと屋根に葉が落ちると屋根が傷んだり樋が枯葉で詰まってしまうからだ。

             

 ツタが幹にびっしり巻き付いていて表皮のなかにも侵入していた。これを駆除してみたが表皮ごと取らなくてはいけない。それでも駆除すべきかどうか迷ったが、バリっと除去することにする。そのせいか、人間と同じく表皮は加齢もありツルツルになってしまっている。

  

 隣接している道路にも枝がはみ出ているのでそこも剪定する。放っておくとどんどん高くなってしまい、実を収穫するのが大変になるので高枝鋏が届く範囲で剪定することにする。

               

 剪定した枝は今までは燃やしていたが今回は木のシュレッダーを購入したのでこれを使ってみて、木クズをブルーベリーの肥料にしようと考えている。きょうの朝は霜が降りていて体が硬い。梯子や樹の幹から落下しないよう、鋸や剪定鋏を使って慎重に作業をすすめる。冬の作業はこうした剪定作業が待っている。

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平成は「敗北」の時代!?

2019-01-03 09:16:04 | 意見・所感

  「産経新聞」の年頭所感では、財界人の言葉「平成は<敗北>の時代だったな」という言葉を紹介する。その原因については ①戦後復興の慢心 ②政治の混迷 ③中国独裁体制支援の失策、を論説委員長はあげている。トランプ政権になって良かったと明言する委員長は、「日米安保さえあれば大丈夫だ、という思考停止の時代はまもなく終わりを告げる。この国自らが厳しい選択をその都度迫られる新しき時代こそ、日本人は戦後の呪縛から解き放たれる、とまとめる。この意見には同意できる。

 1面の「科学力 日本人が足りない」とする日本の針路をめぐる特集は、日本の研究現場に日本人学生の応募が少なくなり、今では留学生なしにはやっていけないという。それに対し、中国・ロシア・アメリカなどの科学軍事予算の拡張はめざましく日本の委縮と後退が際立つ、という。むかしの産経新聞は権力寄りでヒステリックな言説が目立っていたがこのところリアリティーを重視する編集になってきたのを感じる。

   

 「読売新聞」は、洋上の風力発電は原発1基分の能力があるとして、東電の計画を紹介している。原発のリスクが大きいと判断したためだ。東電もやっと腰をあげたようだが実用化にめどがついてきたと言う。収益や利益率から自然エネルギーに移行するという考え方が気に入らないがね。

 「社説」は産経と同じくかなりヒステリックな言説がなくなってきたのが特徴だ。しかし、「自衛隊は、米軍との連携を強化し、装備と能力の高度化を進めるべきだ」と従来通りの対米忖度の姿勢は変わっていない。

 

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記者魂あふれる「東京新聞」元日号

2019-01-02 00:00:23 | 意見・所感

 今年も新聞各紙の元旦の社説や記事を比較してみる。朝日・毎日・産経・読売・東京の5紙だ。この中で一番ページ数が少ない東京新聞だけが記者魂があふれていた。1~2面では「原発のない国へ、福島からの風」で、飼料作物からのバイオマス発電を紹介している。放射能で汚染された農地と町を再生する切り札として「ソルガム栽培・コウリャン」の実証試験が今月から始まるという。東京新聞は一貫して原発問題を前面に報道し、ブレないジャーナリズム精神が貫徹している。他の大手の新聞は多面的ではあるが日本で何がもっとも今課題なのかというところでは突込みが足らない。

   

 さらに、オイラと竹馬の友である元原子力規制委員会のナンバー2だった「クーちゃん」こと・島崎邦彦氏の怒りも吐露されている。電力会社にもっとも厳しい評価をしていたクーちゃんに原発推進側や内閣府からの圧力があったという。そして任期も継続されず規制委員も降ろされてしまった。それ以来、原発の再稼働が加速していく。

 この辺の事情についてマスコミの沈黙は甚だしい。クーちゃんは「僕はずっとだまされ続け、気づけないでいた」と反省しつつ、「練達の行政マンにとって世間知らずの研究者を操るなど容易だ」と若い研究者に警鐘を鳴らしている。一徹なクーちゃんの心意気は明確で頼もしいが、マスメディアはそれにメスを入れないままのボケぶりは全く恥ずかしい限りだ。オイラも初めて知った権力の「いじめ」だった。他紙にはそういう暴露スクープはなかった。

                 

  東京新聞は原発問題だけではない視点も提起しているところがまた素晴らしい。つまり、是枝裕和監督を登場させて政治的なメッセージではなく「足元に小さな物語」を一つずつ積み重ねて自分のあり方の手掛かりを構築していく重要性を説く。残念ながらいまは社会や企業への順応性を競う状況が蔓延していると指摘する。そうした閉塞状況に対して、「映画や小説にできることは恐らく、免疫力を少しでも高めていくような地道な作業」だと言う。ひとり一人の「小さな物語」を築く新年がやってきた。

 

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