山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

森鴎外の長編『渋江抽斎』と犬居村

2014-07-18 21:32:27 | 読書
 読み始めて「しまった」と思った。
 漢語がふんだんに出てきてとても読みこなせない。
 鴎外の知識の広さには舌を巻くが、フツーの読者はついていけないよ。
 と言いながら、いつのまにか読了している。

                       
 江戸後期の医官渋江抽斎にスポットを当てたのが鴎外だった。
 抽斎を取り上げたのは、彼が単なる医者ではなく、儒学・芸術・趣味も広く、鴎外に共通するところが多かったからだろう。
 小説というより編年体の日誌を読んでいる感覚だ。
 抽斎をめぐる交友関係・親戚・趣味などをこと細かくメモランダムに羅列していく。

         
 注目すべきは、抽斎の息子の「渋江保」が浜松や春野町にかかわっていることだった。
 彼は教育者として浜松師範学校(静岡大学教育学部)の創設運営にかかわったり、春野町犬居村に住んだこともある。
 場所は秋葉神社下社あたりではないかと、郷土史家の木下恒雄さんが自費出版の『山林の思想』のなかで推測している。
 1年足らずだったが病気療養のためらしい。

 彼は記者としても活躍し、自由民権運動の推進に論陣を張ったこともあったが干渉される。

                       
 珍しく漢和辞典を引っ張り出しながらだったが、基本的に惰性の流し読みとなる。
 儒学が明治日本にまで学ばれていることが、ある意味素晴らしい。
 日本の成長力は「学ぶ力」。
 その先鞭に鴎外がいたんだ。
 
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