台風や大雨による国道・県道の寸断はオラが利用する所だけでも十数か所にのぼる。こんなに集中的に道路が崩落・陥没・土砂崩れなどのオンパレードはここ数年酷くなってきた。地球からの「悲鳴」や「祟り」は人間の生きるありようへの警告でもある。この過疎地での出来事は、いずれ大都市を巻き込んだ大規模災害への前哨戦ではないかとも思わせる。
ガードレールとともに道路の半分近くを抉られた所も立派に復旧が終わった。人間の力も素晴らしい。少しづつ改良しながら慎ましい前進を獲得していく。工事の主体者が大手のゼネコンではなく地元の小さな建設会社であるのがいい。ときどき知り合いの人の顔ぶれが見られるのも地元の企業が地域おこしに貢献しているのを確認できる。
かなり片側通行が長かった川の合流地点での復旧も終了した。これが復旧しないと掛かっている橋も危なくなるので結構慎重に時間をかけて修復していった痕跡がわかる。とりあえずはこれら2例の画像を取り上げたが、この数倍の修復が終わっている。とはいっても、まだ復旧途中であったり、その復旧中にまた災害にダブルパンチにあったりした個所もあったようだ。買い物に出かけたとき、道路の片側通行がまだ3か所もあった。
大雨が降った時や線状降水帯が続いたら、土砂崩れが想定される次の寸断個所も見かけた。今まで雨の流れが見られなかった所からすでに雨水が流出しているのに驚く。それも見方によれば防災というより自然自身が作り出した風流な景観にさえなっている。
場所によっては、全く手つかずの土砂崩落の現場もあった。さいわい、現場に人家がなかったので良かったものの、大型台風が直撃でもあったら川沿いにある太陽光パネルにも影響があるとさえ思えてならない。見方を変えれば、この自然災害の繰り返しから、日本人は自然と人間との共存を考えざるを得ない運命にあるともいえる。だから、自然を畏怖し、その自然からの恵みに感謝する心がわいてくるのだ。これを失ってしまうと一神教の一方的な収奪路線にはまってしまう。それが「自国第一主義」となり、相手への寛容さを考えなくなる。この思考停止が今、世界を駆け巡っている。