山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

株式会社という憂鬱

2023-05-19 02:07:06 | 読書

 小さな場末の都会で喫茶店を始めたという著者。その深さと自由に感銘する。平川克美『株式会社の世界史』(東洋経済新報社、2020.11)をなんとか読み終える。サブタイトルの《「病理」と「戦争」の500年》というところに株式会社の危うい本質が見え隠れする。

    株式会社のルーツは、一般的に1600年ころから設立された「東インド会社」からだと言われている。東インド会社は、軍隊保有・条約締結権・植民地支配の特権を独自に持つ国家公認のカンパニーだった。

          

 当時は、ヨーロッパ諸国の「大航海時代」であり、新大陸やインド航路の発見で領土・金銀・香辛料・奴隷への欲求が飛躍的に拡大されたという背景がある。それを遂行するには多大なリスクが伴う。そこで資金の持続的な調達のために株式を発行して外部から資金を集めることとなる。それまではローカルな商業活動だったが、ここから地球をグローバルに収奪する資本主義が開花していく。それは同時に、国家同士の戦争へと発展し帝国主義への先兵にもなった。

          

 著者は株式会社500年を概観して、東インド会社台頭の時代を「さなぎの時代」、市民革命の影響で堕落と醜聞の温床とされた株式会社が勅許制にもなった「幼虫の時代」、産業革命によって資金調達が切実になった「成虫の時代」、そして現在の金融資本が跋扈する「妖怪の時代」と、大まかに特徴づけた。

          

 株式会社の歴史から、著者が一貫してこだわり続けている論旨は、「人間は経済的な発展によって必ずしも、幸福にはなれていないということ」だった。「成長なくして日本の未来はなし」という凶弾に倒れた元総理の言葉の欺瞞をつく。が、「会社の病は生得のものであり、これがなければ、そもそも会社というものが成り立たない」と明言し、株式会社の存在そのものは否定していない。実際、著者もいくつかの会社を経営してきている。

           

 そして、「人間が生きていくということは、必ずしも欲望を満足させるためだけではない。年齢とともに、欲望は小さくなり、活動の幅も小さくなって、…静かな晩年を迎えるのが生きるものの節理である」と喝破している。欲望をいかに逓減していくかということ。

            (画像はwww.pinterest.jpから)

 水戸黄門が龍安寺に寄進したという「つくばい」を修学旅行でたまたま発見し、この「吾唯足るを知る」という言葉に感銘したことを想い出した。日本の心にはこうした心情もまだ絶滅危惧種としてスレスレに残っている。本場中国で深められたこうした老子などの基本思想が日本に大きく影響したが、今の中国にこそ必須のアイテムなのだが。いや、世界が今こそ学ぶべき謙虚さがつくばいに込められている。G7広島サミットでその先陣を日本は発揮するときなのだが。

 

 

                                                                 

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