冬の作業では畑での資材の片づけが馬鹿にできない。一昨日、竹の支柱を撤去してまとめておいたところ、突風が吹いてきてそれらが吹き飛ばされそうになった。放置しておいたら危険な「緊急事態」であると判断し、急遽それらを焚き火処分することにした。
きょうの風はひどくはないこと、きのう雨が降って地表が濡れていることを考慮して、畑からの残滓と竹の支柱・ツル植物を中心に燃やすことにする。いつもだと、いただいていた材木の端材を投入するのだが、きょうはそれを使わないで、枯れた茶樹を薪にしてじわじわと併用して燃やしていった。
炎を見ていたらただ火を燃やすのももったいないので、お昼は過ぎてはいたがうどんを茹でることになる。幸いきょうは天気も気温も良かったので、和宮様は珍しく「外で食べても良いぞよ」とおっしゃるので、あわてて椅子やテーブルなどを出したりして冬のアウトドアを楽しむ。
焚き火のそばで昼食をしたせいか寒さは感じない。風もおとなしい。裏山から運んできた太い古木もいつのまにか小さくなって熾火となっていった。時間がなかったので焼き芋ができなかったのが心残りだ。
もちろん、七輪で沸かしたお湯でホットコーヒーをいれるのはいつもどおりのルーチンワークとなる。こうして焚き火コースの食事は大団円となる。シンプルだけど畑も庭も気になるゴミがなくなり、胃袋も気分も満悦となった。
ガース総理はコロナの「緊急事態宣言」をやっと発令した。わが中山間地は「三密」はあり得ない。なにしろ人と会うのは稀だし、飲み屋も食事処もない。お店が一軒もないのだ。これじゃあ、若者も都会へ行っちゃうよ。コロナ禍とは、都会への一極集中と格差、それをさらに拡大したグローバル化、そして経済第一主義の自然(地球)破壊、それへの地球の異議申し立てなのだ。そこへメスを入れないと「ほんとうに生きること」は難しい。山や田舎で生活できない状況を作ったのは誰か、ということだ。