きょうのお昼前に宅急便が届いた。段ボールを観たらお茶のマークがあった。ひょっとすると狭山茶かもねと、いつものようにドキドキしながら段ボールを開けてみる。するとなんと、ピンクの包み紙のクッションの下からいい匂いのキノコがちらりと見えてきた。
取り出してみると、天然のマイタケだった。送り主はわがキノコ・山菜の師匠だった。師匠のブログを覗くと、昨日午前4時ごろ集合し雨続きだった山梨の山を歩きながら、命がけで収穫してきたものだった。大きいのは3.6kgもあったという。それもなんと大小合わせて7株も群落を形成していたというのだから、そのそばできっと「マイタケ音頭」を踊ったに違いない。
オラも昔は山中で遭難しそうになりながらマイタケを発見したときは、「マイタケ音頭」をひとり踊ったものだ。 濡れてしっとりした道なき奥山に颯爽と歩いた師匠は、そのようすを【分け入っても分け入っても濡れた山】と詠んだが、どこかで聞いたような気がした。そんな俳句は種田山頭火しかいない。【分け入っても分け入っても青い山】が本歌だ。さらりとその蘊蓄がはみ出してしまうのも師匠らしい。
いただいたマイタケをよく見ると、色が微妙に違う。黒マイタケに白マイタケもどきということかな。根っこがあるから天然ものであることがわかる。料理が得意の和宮様は、「こういうものは早く食べるのが鉄則なのじゃ」と、さっそく天ぷらの準備にと下ごしらえに入る。
すると、やや遅くなった昼食はもちろんマイタケの天ぷらだ。甘長唐辛子は畑からのものだが、これも採りたてのものだけにマイタケに合う。昨日の早朝に収穫したものが、きょうの昼には天ぷらとして食べられるという、「リニア」なみのスピードに信じられないほどの感覚をもって、美味しくいただいたことは言うまでもない。
世界はいまジェノサイドが力ずくで強行されていることがフツーになってきた。日本では金で政治を歪めることがフツーにいまだ浸透している。原発もいつの間にかフツーに話題から消えた。そんな中、天然マイタケを探索していくというロマンは貴重だ。それも必要以上に取り過ぎないよう配慮しながら毎年の恒例としている幸せ。日本や世界が忘れていく自然とともに生きるというかつての「里山主義」の価値が人間としてとても深い意味があることを改めて感じ入るマイタケ便だった。