山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ボケに癒される

2024-03-18 22:36:12 | 植物

  過密の都会から現在の過疎の田舎に移住したとき、入り口に小さなボケの木があった。それがいつの間にか大きくなった。そのうちに、花が目立つようになり、出入りするときに繁茂した枝がぶつかるほど奔放になってきたので、その剪定をするのが毎年の作業となった。それもそのはずで、場所はイチイの木の陰にあり枝を伸ばす空間がないような環境だったのだ。そうしてついに、ボケはイチイの木を乗り越えて太陽へと近づくという覚悟をしたのだった。その結果、ついにイチイを大きく超えることができたのだった。ふつう、ボケの樹高は1~2mなのに4mくらいは伸びていた。いやー、その生命力に驚嘆するばかり。

   

 そこで、これは剪定した枝で挿し木をやってみようと数年前から開始する。最初は失敗していたがだんだん根を張ってきて、今では1年後には花を咲かす個体もチラホラ出てきた。今の時期、花はまだ少ない単色の景色の中でこの見事な朱赤色をみるとホッとする。

 中国ではボケのことを「木になる瓜」つまり「木瓜」と表記し、「もけ」とか「ぼっくわ」という言う。それが日本で訛って「ボケ」になったと言われている。

   

 昨年の11月上旬にバタフライガーデンに植え付けたボケの苗に花が咲いた。過酷な冬を乗り越えた二年生だ。12本植えたが10本に花をつけてくれた。寒冷紗もかけないのに結果を出してくれたのは日当たりが良い場所だったからなのかもしれない。

 ボケの花言葉のなかに「先駆者」「指導者」というのがあるが、それは織田信長が家紋として木瓜紋(モッカモン)を使用したことに由来するらしい。この10本は初めて植え付けたのに花をつけてくれたとなるとまさに先駆者に見える。

 

  夏目漱石は『草枕』の中で、「木瓜は花のうちで愚にして悟ったものであろう。…余も木瓜になりたい。」とある。つまり、ボケから「世渡りの下手なことを自覚しながら、それを良しとして、あえて節を曲げない愚直な生き方」(半藤一利)を無理なく選択している姿だ。オラもボケのように生きていきたいと思うのだが、それは孤立をも覚悟しなければならない。

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