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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

早春の一番乗りはだ-ぁれ?

2021-03-04 22:50:27 | 風景

 わが家も遅い春が近づいてきた。この花が咲くと寒さはあるものの春がやってきたことを教えてくれる。それはいったい誰なのだろうか。歩いてみるとそれは、畑から消えてしまった「フキノトウ」だった。しかも、畑の隅っこに一本だけ咲いていた。周りを見回してもこの1本だけだった。もう少しすれば、移動したフキノトウが月末には裏山や花壇に整列することは分かっているが、実直な広報官は饗応をしていないのに任務を遂行してくれたのだった。

              

 早咲きミニスイセン「テイタテイト」も一番乗りをいつも誇っている。春は黄色の花から始まるというのが実感だけどまさにその使者の役割を控えめに果たしてくれるのがこのミニスイセンなのだ。

      

 その隣には、大きな蕾を含まらせている最中のスイセンがあった。いつも今月中旬には開花登場する。近所ではとっくに花が開花しているのにわが家はいつも出遅れている。これはオイラの性格にあわせているのかもしれない。

     

 そうして、鮮やかな赤桃色で春を描く「八重カンヒザクラ」も参入してきた。こちらは5分咲きというところだろうか。いま一つ肌寒いので、夕方はダルマストーブを点火する。薪の殆んどは抜根した茶の木でやってみた。もちろん焼き芋を焼きながらだが、十分役割を果たしている。枯れても役に立つなんてしゃれている。しかも、夕飯の主食に焼き芋が出るなんてこれもまた「役割」を邁進してくれたわけだ。

 このように、それぞれが役割というものを活かしてくれると暮しは桃源郷に近づく。人間もさわやかに人や社会のために役割を自覚していけば幸せをつかんでいくこととなる。しかし現実の報道では暗いニュースばかりが胸を突く。総体としての人類は相変わらず成長していない。そんなとき、小さな春を見つけ出すことこそ大きな感動を手中できるんだけどなー、とぼやく早春だ。      

 

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