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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

長老に聞くー2/田んぼの地蔵様

2018-02-07 17:43:29 | 出会い・近隣

 長老が少年のときのいちばんの思い出は、昭和10年から15年ころだったか、8月24日に行われた「田んぼの地蔵様」の祭りだったという。当日は「弓場」があり、的に矢が当たると「見張り」が笛を吹くのをよく覚えているという。

 賑やかな縁日には、泊まり込みで近隣からやってきたという。博打もやられていたようでサーベルを持った警官もいたらしい。

 

     

 今では閑散としていて人の姿を見るのもやっとの場所だが、日本の山林が元気なときだった。昔は三体の小さな地蔵様があったそうだが、台風でたびたび社ごと石仏が流され、最近社を再建したもののまだ石仏は配置されず、住民が彫った「水口観音」という額が奉納されている。

 

                 

 壊れかけた塑像らしきものは今までのかけらだろうか。社の隣の石碑には、「水田開墾記念碑」の石碑(昭和17年建立)が佇んでいる。それによれば、明治12年に起工され明治23年に完成したというから、時間をかけて開拓した苦労がしのばれる。

 

         

 現在ではとうてい想像すらできないような過疎の華やかな青春は今では記憶遺産となってしまった。長老の初めての旅行は、トラックの荷台に乗ってみんなで浜松の「弁天島」へ海水浴に行ったことだという。林業生活70年という長老の記憶は、日本が高度経済成長を遂げていく黎明期の一コマだったことかもしれない。  

コメント
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