集落で葬儀があった。
昨日から召集がかかり、きょうも朝8時から夕方まで葬祭用具の運搬・組立て・撤去・受付・会場設営などを手伝う。他のメンバーは、火葬場・書類提出・車両運転・関係者連絡・食事準備などをてきぱきこなしていく。
都会出身者としては、お金(5・10・50・100円玉)や紙吹雪を撒いたり、集落総出でかかわるチームワークが小気味いい。みんな快く当り前のように準備に余念がない。
しかも、地元の裏方は平服だ。じつにそれは合理的だ。
それにしても、仏式葬儀は忍耐でもある。というのは、灼熱の太陽の下でわからないお経をじっと聞いている状態はみんな苦痛に思っている。葬儀に参加するたびにその疑問は拡大する。
葬儀の改革に取り組もうともしない宗教者の鈍感力にうんざりする。
この混迷の時代だからこそ宗教の出番なのに、相変わらず葬儀だけの陥穽に閉じこもっている。本来寺院は地域コミュニティーの拠点であり、人間の生きるべき方向を示唆するオピニオンリーダーであるはずなのだ。
軒下のツバメはそんな人間の混沌を尻目に、大空を切り裂くように滑空していた。
昨日から召集がかかり、きょうも朝8時から夕方まで葬祭用具の運搬・組立て・撤去・受付・会場設営などを手伝う。他のメンバーは、火葬場・書類提出・車両運転・関係者連絡・食事準備などをてきぱきこなしていく。
都会出身者としては、お金(5・10・50・100円玉)や紙吹雪を撒いたり、集落総出でかかわるチームワークが小気味いい。みんな快く当り前のように準備に余念がない。
しかも、地元の裏方は平服だ。じつにそれは合理的だ。
それにしても、仏式葬儀は忍耐でもある。というのは、灼熱の太陽の下でわからないお経をじっと聞いている状態はみんな苦痛に思っている。葬儀に参加するたびにその疑問は拡大する。
葬儀の改革に取り組もうともしない宗教者の鈍感力にうんざりする。
この混迷の時代だからこそ宗教の出番なのに、相変わらず葬儀だけの陥穽に閉じこもっている。本来寺院は地域コミュニティーの拠点であり、人間の生きるべき方向を示唆するオピニオンリーダーであるはずなのだ。
軒下のツバメはそんな人間の混沌を尻目に、大空を切り裂くように滑空していた。