餅は餅屋
金を貸して散々損したと言うのに、金貸しで儲けようと考えた。
というのも、実に多くのインド人が金貸し業で生計を立てているのだ。
インド人の金貸しは、ボンバイもしくはトルコと呼ばれている。
たしかにトルコ人の同業者をミンダナオで見たことがある。
はじめにはじめたときは2万ペソ、今まで損した額に比べたら遊びのような額だった
ボンバイの利息は、40日で20%。
これだけでも驚異的な闇金融的高利なのだがその計算方法が驚異的だった。
たとえば1,000ペソを借りる、そこに利息の20%を加算し、1,200ペソ、
それを40日で分割し、借りた翌日から返済がはじまる。
つまり1日P30を40日間支払うことになるのだ。
金利の計算に詳しい人がいたら教えてほしいのだが、実質年利は何%になるだろうか。
そんなわけで、これの真似をした。はじめは自分で集金していたが、馬鹿らしくなり近所に住み金も貸していたAおばさんを雇うことにした。借金のある人を金貸し事業に雇うのはもっとも不適切だという原則を忘れていた。
ありがたいことに、Aは新しい借主をどんどん見つけてくれたので、資本として出費した総額があっという間に10万ペソを超えた。計算上は毎月3万ペソ近い収入があることになる。と喜んでいた。
しかし、3ヶ月程経過した頃から返済が滞り始めた。理由は多重債務、失業など説明された。
ある日、路上で金を貸しているオバさんがのん気に立ち話をしていたので、最近返済が滞っているけどと訊くと烈火のごとく怒りまくり、もうほとんど返しているといった。集金を任せたおばさんAに事情をきくと、それからその旦那にも金を貸しそれの返済が遅れているということだった。
次の月、再びそのおばさんが立ち話をしていたので金の催促を旦那にしてくれというと、その近くに旦那本人がいて、俺は金なんか借りてないとわめき散らした。ここで話をしても埒が明かないのでAのところへいくことになった。
そして事実を知った。生活に困ったAが回収した金を使い込んでいたのだ。それどころか、架空名義をつくり融資をしたように装い、自分で使い込んでもいた。Aはこの発覚がよほどショックだったのか、持病の糖尿病、心臓病を悪化させ入院した。小さなコミニティーだったので、Aの入院とそのいきさつはたちどころに噂として広まった。自分の所有する田んぼとサトウキビ畑の肥料購入や、家の改築として結局A約80万ペソを使い込んだことを認めた。その外は事実不良債権だという。米の収穫で返済を予定していたが悪天候で、収量が少なく失敗。
息子が船乗りとして働き始めたら、それで返済をすると約束した。
このAおばさんは、フィリピン人の典型なのだ。目の前に現金があったら、それが自分のものではないとわかっていても使ってします。だからこのAおばさんには金の催促は一切しなかった。しかし、このときから以前からよくなかった体調をさらに悪化させ、数ヵ月後に他界した。まだ60歳前後だった。
人との出会いは時として人生そのものをを変える。
By jj
Bacolod City Philippines