特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

私の辞書に努力と継続と言う文字は無い。
1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

餅は餅屋

2008年02月20日 | フィリピン
餅は餅屋

金を貸して散々損したと言うのに、金貸しで儲けようと考えた。
というのも、実に多くのインド人が金貸し業で生計を立てているのだ。
インド人の金貸しは、ボンバイもしくはトルコと呼ばれている。
たしかにトルコ人の同業者をミンダナオで見たことがある。
はじめにはじめたときは2万ペソ、今まで損した額に比べたら遊びのような額だった
ボンバイの利息は、40日で20%。
これだけでも驚異的な闇金融的高利なのだがその計算方法が驚異的だった。
たとえば1,000ペソを借りる、そこに利息の20%を加算し、1,200ペソ、
それを40日で分割し、借りた翌日から返済がはじまる。
つまり1日P30を40日間支払うことになるのだ。
金利の計算に詳しい人がいたら教えてほしいのだが、実質年利は何%になるだろうか。

そんなわけで、これの真似をした。はじめは自分で集金していたが、馬鹿らしくなり近所に住み金も貸していたAおばさんを雇うことにした。借金のある人を金貸し事業に雇うのはもっとも不適切だという原則を忘れていた。
ありがたいことに、Aは新しい借主をどんどん見つけてくれたので、資本として出費した総額があっという間に10万ペソを超えた。計算上は毎月3万ペソ近い収入があることになる。と喜んでいた。

しかし、3ヶ月程経過した頃から返済が滞り始めた。理由は多重債務、失業など説明された。
ある日、路上で金を貸しているオバさんがのん気に立ち話をしていたので、最近返済が滞っているけどと訊くと烈火のごとく怒りまくり、もうほとんど返しているといった。集金を任せたおばさんAに事情をきくと、それからその旦那にも金を貸しそれの返済が遅れているということだった。

次の月、再びそのおばさんが立ち話をしていたので金の催促を旦那にしてくれというと、その近くに旦那本人がいて、俺は金なんか借りてないとわめき散らした。ここで話をしても埒が明かないのでAのところへいくことになった。

そして事実を知った。生活に困ったAが回収した金を使い込んでいたのだ。それどころか、架空名義をつくり融資をしたように装い、自分で使い込んでもいた。Aはこの発覚がよほどショックだったのか、持病の糖尿病、心臓病を悪化させ入院した。小さなコミニティーだったので、Aの入院とそのいきさつはたちどころに噂として広まった。自分の所有する田んぼとサトウキビ畑の肥料購入や、家の改築として結局A約80万ペソを使い込んだことを認めた。その外は事実不良債権だという。米の収穫で返済を予定していたが悪天候で、収量が少なく失敗。
息子が船乗りとして働き始めたら、それで返済をすると約束した。
このAおばさんは、フィリピン人の典型なのだ。目の前に現金があったら、それが自分のものではないとわかっていても使ってします。だからこのAおばさんには金の催促は一切しなかった。しかし、このときから以前からよくなかった体調をさらに悪化させ、数ヵ月後に他界した。まだ60歳前後だった。
人との出会いは時として人生そのものをを変える。

By jj
Bacolod City Philippines

iroiro

2008年02月20日 | フィリピン
一番大きな損は150万ペソ以上。
旧日本軍が隠した埋蔵金を掘り当てると言う話を聞いて
欲に目が眩んだ、おまけに日本人の年金生活者が相手だったので安易に信用してしまった。
しかもこのとき既にフィイリピンで100万ペソ以上損していたので、これを取り返すいい機会だとまじめに思っていた。実は前述のホールドアッパーに盗られた2万ペソもこのための資金に使うつもりだったのだ。まあ今にして思えばどっちにしてもあの金は失くす運命にあったのだ。

結局、金堀のために代金90万ペソでパワーショベル(ユンボ)を購入した。
話では新品のように整備されていると聞いていたので、わくわくしながら見に行った。
そこには全体を黄色く再塗装した1970年代製の超古いパワーショベルが一台。やられたと思ったが後の祭りである。
これを購入した際、私は日本にいて(上記ATMカード再発行のため)フィリピんナショナルバンクの東京支店からこの爺の口座に100万ペソ送金したのだ。この日本人の爺さんに購入を任せたのがはじめの失敗だった。
なんとこの爺さん、自分がいつも嘘つきと怒鳴り散らしているフィリピン人の女房Jに全てを任せてしまったのだ
その結果どんなに高く見積もっても30万ペソくらいの価値しかなさそうなパワーショベルに90万ペソを支払う羽目に、Jは、しきりに日本製だからと強調していた。たしかにKATOと言うメーカーの物だった。
しかし、この時点ではテレビ番組制作に絡んだ投資の利益を使えるという計算だったのでまだ気分的には余裕があった。

当然、この古い重機を稼動し始めると故障の連続。そんなわけで、3ヶ月もすると部品代修理代それに運転資金、人件費、燃料代、電気を引き込むためのワイヤー代等々で計P50万ほど追加した。この頃から、このままではいくら金をつぎ込んでも足りない、底なし沼に金を投げ込んでいると同じであることを認識しはじめた。(気づくのが遅いって言うの!)しかも、この時点で穴の深さはわずか15mほど、修理に時間がかかり、大きな岩と地下水に邪魔され作業が進まないのだ。電動ポンプで水をくみ上げて掘り下げ長さ5m位の大きな石にぶつかり、それにワイヤーを括り付けユンボで引き上げる、その作業をしている穴はには地下水みちてします。おまけにその電動ポンプも泥水をくみ上げたことが原因で故障し、修理に数日を要する始末。作業が進展しない大きな理由はJの弟であるフィリピン人の現場監督が自分の思いつきであっちを掘ったりこっちを掘ったりと作業範囲を広げていたのも災いした。本来なら岩を粉砕する機械を購入し使うべきなのだが、この頃テレビ番組制作に投資した金が返済期日を迎えていたのにもかかわらずP1も返済されないと事情とあいまって、追加で博打を打つ根性もなくなっていた。要は、負け犬になったのだ。

その後このパワーショベルをレンタルに出せば儲かると言われそれを実行するもこちらには1ペソも入ってこない、何でも貸した会社の社長が金を払わないというではないか、真相は不明だが120%嘘である。この頃には、一攫千金の幻想も見えなくなり、もうどうでもよくなってしまっていた。

しばらくするとMさんという日本人が日本から来て、あの爺さんが住んでいる家と車は数年前まで勤めていたトヨタ自動車関連の会社を早期依願退職をしてもらった退職金の一部で買ったもので、日本で始めた会社経営が軌道に乗るまで、日本にいなければならないので、その間あの爺さんに家の管理の代わりにただで貸していたのだが、爺さんの女房の連れ子の名義を借りることてしまっているので乗っ取られたも同然だとこぼしていた。
このMさん、会社経営は破綻し自分の家に戻ってきたのだが、滞在中も嫌がらせが続き結局Mさんは自分が代金を支払った家を出て行く羽目に。Mさんはフィリピン人配偶者がいて、結婚式の際に通訳を探し紹介されたのが爺の女房Jだった、結婚という人生のスタート(もっともMさんはこれが3度目なので再々スタート)が人生の破局のスタートでもあったのだ。

そして、このMさんも金堀の作業にかなりの額を出資していることも知る。なんと日本人だからと安易に信用したこの爺は、セミプロのパクリ屋だったのだ。欲に目が眩み、こんな人物を信じた自分がつくづく嫌になった。Mさんも同じ日本人に騙されたのが余計に腹が立つと何度も繰り返し、そのころ女房を信じていなかった自分のことをしきりに反省。

この年金暮らしの爺さんもそれから半年して大腸癌で入院、退院後骨と皮だけの状態まで極限に痩せこけてしまった。その姿は表情こそは異なるが、仏陀苦行像を髣髴させるものがあった。死相が浮いているというより、死人が話をしているようだった。「この国に骨を埋める覚悟がないなら、日本に帰ったほうがいいよ。」と言うと、NHKの(海外放送)健康番組で初期の癌はビタミンを摂取していれば消えるといってたから大丈夫だと言っていた。実は、この爺さんの癌、末期症状で摘出不能状態だったのだが、本人には大腸の癌は摘出したが肺に癌が転移している、しかしこれは初期状態だから薬物治療で完治する、と告知されていたのだ。そして山下ゴールドを掘り出すまでは絶対に死なん!(関西人)と豪語したのだが、その僅か1ヵ月後他界した。欲は身を滅ぼす。

By jj
Bacolod City Philippines