特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

私の辞書に努力と継続と言う文字は無い。
1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

続 マカティの物価

2008年09月29日 | フィリピン
ランチが日本¥に換算すると1000円。これが超高級店でもない街角の店、やっぱり高い。

でも、ローカルフードを路上のスタンドで済ませば120円くらいの予算でもOKです。やっぱり安い。

安いものもあれば、高いものもある。収入の高低により選択できるということですね。

ちなみに私のランチは会社からでる、P170の弁当です。


バコロドへ再び

2008年09月29日 | フィリピン
今考えていることは、仕事を辞めたら何をしようかということだけだ。今思うと仕事をしていると朝起きてシャワーを浴びて朝ごはんを食べて、徒歩で通勤して、生活のリズムというものがあり、とても規則正しい生活を送っていた。この規則正しい生活をする根拠がなくなってしまうことを想像すると、本当に大丈夫だろうかと思う。実際には過去10年程仕事をしないで暮らしてきた期間があったのだから、そういう時代の生活に戻るだけなのだが、既知な生活に戻るというのも新鮮さが感じられないので興味がわかない。

怠惰な週末

2008年09月29日 | フィリピン
Cebu Pacificという航空会社が格安で大阪行きを運行しているので、そのチケットを買おうと思い、準備をしていたがパスポートが手元にないことに気づき中止。気分的は買いに行くの億劫だったので、ホット一安心したというが実情だ。

そんなわけで先週末はDVDで映画を観ただけで過ごした。食べ物も家にあるものだけで済ませたので、昨日は一歩も外に出なかった。週末を誰にも会わずに過ごすのは久しぶりのことだが、あまり会いたくない人と会うならこんな風に過ごしているのとたいして変わらないと思った。

仕事がないという意味

2008年09月27日 | フィリピン
三日前のことだった。今の職場で半年過ぎても正社員として採用される見込みがなくなった。あと3ヶ月様子を見たいということだった。半年過ぎても人物評価ができない組織にいても意味がないと思ったので、その翌日区切りよく半年で仕事を辞めると伝えた。

Makatiで過ごした半年間も経済的な意味は皆無に等しかった。経済的に困窮していればお金を稼ぐことに意味を見出せた可能性もあるが、今の自分の資産状況では僅かUS$1,000ちょいの月給のために一日の大半を単調極まりない事務手続きに費やすことに矛盾を感じていたのはある側面から考えると事実である。たしかに、フィリピンの一般労働者に比べればよい給料をもらっていると考えることもできるのだろうが、それは自分を偽っているだけなのだ。おまけに、公的な身分証明書がないと、この街では銀行の口座を開設することもできなかったので、自分の趣味である金融投資に関与できなかったのも、怠惰な生活間を助長させたし、この資本があるのに何もできない状態というのがストレスの要因になっていた。

会社で選んでくれた自分の部屋の環境が最悪だったことも、容易に退職を決意する手助けになった。この国で人に任せるとろくなことにならないということが、ここでも証明された。一日一秒も太陽の光が届かない暗い部屋、昼間でも電気をつけなければならない。おまけに目の前に建築中のコンドがあるため、窓を開けるとセメントの粉が舞い込んでくるので、空気の入れ替えもできない。こんな環境に半年以上居たら神経症や精神病になりそうだ。

とはいえ、この半年間で少なくない人々との接触を通じ意味を感じる出会いもあったで、良い時間を過ごせたとまとめることにしよう。

崩壊への序章

2008年09月19日 | フィリピン
つい最近のことだ。バスの車窓から夕暮れの路上に座り込む一人の男を見た。上半身は裸だった。よく見かける路上生活者が持ち歩いている、バッグも見当たらなかった。家族が居るようでもなかった。やることもなくただ視点の移動だけを続けていたので、とても不安そうに見えた。この国の路上生活者からは活力を感じることが多いが、この男の姿は無気力を象徴しているようだった。

この男の状態は何も所有しない生活を理想と仰いでいた私にとって、その境地に到達した姿を見たような気になってもいいはずなのだが、全くそうならなかったばかりではなく、ああいう風にはなりたくないと心の底から思ってしまった。危険、不衛生、孤独、連想される印象が全てネガティブなものばかりだった。結局、何も持たない生活が理想といっても、それはある種の安全と快適性が保たれるという大前提が存在していたのだ。無所有が理想という概念は、自己の都合で現実を湾曲させただけの似非理想だったことを痛感した。

何も持たない理想的な生活は結局のことろ空想の世界にだけ許されるということなのだろうか。    

続く

年利33.3%

2008年09月13日 | フィリピン
この話に乗って損をされたら困るので、あえて銀行名はあげませんがタイトルにあるような年利の定期預金があります。3年で元本が2倍!!! おまけに今口座開設を申し込むとASUSの小さいPCがもれなくもらえるというのだ。どう考えてもいんちきくさいのですが、以前この会社では、携帯電話プレゼントというキャンペーンをしていました。

利息は毎月払い、PDICの保障つき、しかし3年定期なので20%税金が引かれます。

ただ、BDOとかRCBCという何処にでもある銀行ではありませんので、街中の銀行を探し回るようなことはしないほうがいいですよ。


追記 金利について

2008年09月12日 | フィリピン
今、この銀行の定期預金の利率を確認したところ、なんとここに書くのもためらうほどの高金利になっていた。これでは、うまい条件で預金者を募り計画倒産という構図と思ってしまいます。

しかも、PDICという協会の保護つき(P250000まで)

金利を知りたい方は、コメントに記入してください。

それとこれは、これをお勧めしているわけではありません。

信じられない金融事情。

2008年09月12日 | フィリピン
最近更新が滞っているためだろうか、訪問者の数が激減である。
書こうと思っていることがないわけでもないのだが、まあたいしたことでもないと思ってしまい、ついつい筆不精状態になってしまう。

ここで、フィリピンの信じられない話を一つ。あえて名前は挙げないが、怪しい銀行では年利10何%の定期預金というものが存在している。以前は20%だったのだが政府の指導で金利を引き下げるよう通達されたようだ。

この銀行にある程度まとまった金額を預金しておくと、フィリピンの低所得者の給料より多い金利収入が得られる計算になる。しかも、金利は毎月振り込まれるのだ。とりあえず、250000ペソまではPDICで保護されています。

こんないつ消えてなくなるとも知れない銀行に預金するのは、いわば博打なので博打は嫌いという方にはお勧めできませんが、お金が余ってドブに捨てようと思っている方には試してみる価値があります。

しかし、系列の金融機関ではさらに高金利の商品もあります。どう考えてもこれだけの高配当を確定というのは納得いく理由が見つからないのですが、政府も税金を徴収しているので、黙殺しているということなのでしょうか。

ひんこんについておもうこと。

2008年09月03日 | フィリピン
先日何か食べたいのに食べられない状態になった。そろそろ食事にしてもいい時間になっても腹が減っていなかったのだ。おかしな話だが腹が減ってもいないのにただ単に習慣として食べたくなったということなのだ。

この世の中には、空腹で食べたくてもそれが手に入らないために食べられない人がいるというのに、注文した食事をの大量に残す人もいる。これを不公平と呼ぶのだろうか。例えば勉強したくないのに、それを強制される子どもがいる反面、それがしたいにも関わらずそれができない子どももいる。こういうことを矛盾に満ちた社会と単に言っていいのだろうか。

フィリピンで暮らしていると、構造的社会格差とは個々の人間の本質がそのまま自然に現れているだけのことで、ある意味人間が作り上げた当然の結果としての状態が今の社会なのではないか、そんなことを思う。

その反面、この世の中が実に平等公平だと思うことは、人間の幸福感と富の保有とは無関係であるということである。そういう意味でやはりこの世の中は実に調和に満ちた社会が構築されていると思える光景にも日々出会う。