特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

私の辞書に努力と継続と言う文字は無い。
1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

大工の仕事振り

2012年04月27日 | フィリピン

旅12日目
Fiesta が終わるとともに以前の日常が戻ってきた。

品質と価格の狭間で
ひと月P2,500 で借りているメゾネット。
お湯のシャワーがない batheoom のドアや天井の一部が腐っていたので大家に修理を頼んだ。

今朝大工が一名おくられてきた。木製の骨組み部分までいたんでいたのでかなり大掛かりな作業になると思ったが、腐りかけの木材はそのまま使われその表面にベニア板が張られていった。下半分が朽ち果てていたドアはその部分だけ切り離され新しいドアが継ぎ足された。

使える物は残こす、合理的といえばたしかにそうなのだが、なんと言えばいいのだろうか、仕上がりに関しては小学生の図工程度で職人技とは程遠い。これでも一年位の耐久力はあるのだろうか。

結局単純換算で5,000円位の家賃では先進国レベルの高品質な住環境は手に入らないのだ。低家賃の借家暮らしで快適性を求めるなら、自費で部屋を改造するしかないのだろう。


幾分飛躍するがフィリピンの中流以下の人々の暮らしは全てに於いてこんなものなのだ。そしてミンダナオの一地方都市にいると殆んどの人々が中流以下の階層に属しているように見える。


裸足?

2012年04月27日 | フィリピン
裸足の少女
素っ裸の幼児を連れて歩く7才位の素足の少女。

ただ単に散歩をしているわけではない、お金を恵んでくれそうな人がいると声をかける。その繰り返しが beggar の仕事だ。


飼い犬に服を着せる国があるというのになんでこんなことになってしまうのだろうか?

旅 ミンダナオの生活音

2012年04月16日 | フィリピン
Mindanao の人口密集地域は喧しい。

朝の5時前にモスクから流される大音量の祈りから始まり、闘鶏用の雄鶏の鳴き声、改造バイクの排気音、etc Noisy そのものだが鶏の鳴き声は慣れると気にならなくなる。

今日はこの地区の年に一度のFiesta なので大音量カラオケが加わり余計に騒々しい。

旅 ネットカフェ

2012年04月16日 | フィリピン
旅11日目
もの凄い発熱量のPC が約20台並んだ、小さなネットカフェ。1時間当たり P10で利用する。

利用者は若者と子どもばかりだが結構繁盛している。オンラインゲームとフェイスブックが人気。

今朝滞在先 Telaje の internetcafe にて Skype を試す。

自分のaccount nameが正確に思い出せずにLog inするのに手を焼いた。

Microphoneが壊れていたのでこちらの声が届かなかった。まあ、家族の声が聞こえたので今日はよしとしておこう。

旅7日目 空港ターミナル

2012年04月12日 | フィリピン
旅7日目 空港ターミナル

本来の予定では昨日バスとフェリーを乗り継いでミンダナオ島まで移動するつもりだった。

ネグロス島の西海岸にあるバコロドからミンダナオ島の西海岸まで行くのは容易ではない。ネグロス島の東海岸まで陸路で移動し小型のフェリーか高速艇でセブ島西海岸まで渡ったのち再び陸路でセブ市内のバスターミナルまで移動し、そこから埠頭のある東海岸へとジープかタクシーで移動するとようやくミンダナオ島行きのフェリーに乗船できる。このフェリーは夜出港し目的地入港は翌朝となる。

思い出して書いてるだけも面倒な乗り継ぎだ。おまけにバスターミナルとフェリー乗り場が離れているのでトライシクルかタクシーで移動するしかないのでそれが面倒さに拍車をかける。

それと一人で移動していると盗難に常に注意しなければならないので気疲れもする。以前マニアからミンダナオ島までスーパーフェリーで移動した際日本で買ったお土産を入れたカートンボックスが丸ごと盗まれたことがあった。

セブミンダナオ間の定期
フェリーも一番安いベッドは Open deck にあり一晩中潮風を浴びなければならず、これで体調を壊したことが何度かあった。

そんなわけで今回の移動は費用の低減より容易さを優先させ飛行機を利用することにした。

空路でもネグロスからミンダナオへの直行便はないのでセブかマニラを経由しなければならない。移動距離の関係からセブ経由の方が安いのだかコネクションが悪く4時間乗り継ぎ待ちをしなければならない。それでも陸路プラス海路の組み合わせと比べたら全然速いのでセブ経由を選択した。

航空会社はいつものCebu Pacific Airだ。今はクレジットカードさえあればネットからチケットの予約購入できるので便利だ。ちなみに今回予約を入れたのは出発予定時刻の4時間前だった。

バコロドからシライにある空港まで移動しなければならない。予算に余裕があればタクシーでも使えばいいのだろうがそういう状況ではない。乗り合いのVanはSM mall から出発している。今回 4時30分発の便に乗った。ちょうど最後の乗客だった。乗り込んだら直ぐVanがまだ闇の支配下にある暗い街に向けて走りだした。

搭乗開始が8時なのに5時台には空港に到着していた。

Silay Airport WIFI can't be used. connected と表示されているのでWifi にはつながっていると思う。しかしインターネットにアクセスできない。
朝の時間潰しの計画が頓挫した。

この新しい空港のTerminal fee は P200だ。


Bacold, Cebu の移動は感覚的には上野から山手線で新宿に移動したようだった。途中青い洋上に白く長い航跡を描きながら進む高速艇をあっという間に追い越した。

セブのターミナルではSmart Bro Free wifi経由でなんとかネットに接続するできた。あっきー宛のメールが再びお送られていなかった。返信がなかったからあれっ?とは思ったが、まあかなり間抜けだが送りなおした。ヤレヤレだ。(´・ω・`)

ここにはFree internet access point がありiPad他のタブレットが数台使えるようになっていた。

その他セブのターミナルは白人旅行者が多かった。

制限エリア内の食べ物の値段が高かった。

それとついに Joan には会えなかった。まあソレが目的で Bacolod へ行ったわけではなかったがチョット想定外の出来事だった。


BUTUAN までは空路での移動だったので順調だった。後はノンエアコンバスでローカル線の旅だ。15時発車予定時刻までしばらく時間があったので、carinderia で食事をすることにした。野菜料理だと思って注文したらくどさの塊のような豚の皮の料理だった。


まだ3時間しか乗車していないが尻が痛い。やはり座席の作りがeconomy class の飛行機とは比べものにならないほど悪いのだ。

今19時だが、まだ目的地に着かない。ディナーブレイクか。朝早く起きたので眠い。

目的地 Tandag, Surigao del Sur に到着したのは20:3、いつの間にか寝ていたようで目覚めるとそこは見慣れたTandagのバスターミナルだった。走り出してから5時間30分、これでも以前に比べて大分速くなった。フィリピンのミンダナオでも道路は改善されているのだ。


番外編 フィリピン旅記録2012

2012年04月04日 | フィリピン
日本語が話せる30代フィリピン人女性と結婚したい方いませんか?

例えば第二の人生、年金生活をフィリピンで送りたいとか

日本人女性とは馬が合わないとか

富はある程度あるけど彼女いない歴長過るとか

このままでは将来孤独死必須恐怖症の方など

理由は不問

♡マンゴスチンのような甘い生活が待っています。♡




コメントは非公開なのでそちらに連絡
お願いします。(_ _)

フィリピン1012 旅記録 7

2012年04月04日 | フィリピン

加入していた民間健康保険を解約したかったが最低2ヶ月必要と言われて挫折した。

これでもう一度ここへ来る理由が出来てしまった。(・_・




よく言われることだが南方の人は時間にルーズだ、フィリピン人も例外ではない。しかも今向かってるとか大渋滞してると言っても実際は怪しい場合が多い。今回は携帯の電波がとどいていないといわれた。ちゃんと呼び出し音してましたけど?( ゜д゜)



Pension Bacolod 画像参照

住所はNo.27th 11st
海星というJapanese Restaurant の脇の通りだ。
海星から歩いても行けるがトライシカッドが常に待機しているのでそれに乗るとフィリピン気分を満喫できる。
SM Mall からだとタクシーでP60以内だった。
電話は443-3377

フィリピンは12%位のVAT付加価値税がつくのでその分割高だがエアコンテレビなしでブライベートバスの小さな部屋なら一泊P250だった。

この値段だと水のシャワーのみだが水がそれほど冷たくないのでかえって爽快だ。(^^)v

白人バックバッカーも利用してる。
レストランがある。
スタッフがマトモ。
☆☆☆


フィリピン2012 旅記録 6

2012年04月04日 | フィリピン
予定通りBacolodの入国管理局へ行った。査証の滞在期間を延長するためだ。

場所が移転していた。
Lagoonの隣にある官庁街の一角の奥まった所に新しい建物があった。

第一回目の延長料金はP3,030だった。
アプリケーションフォームに保証人の名前と住所を記入しなければならない。

3月31日入国で5月29日まで延長されたと言うことは一日当たり約百円ってことか?

観光は政府の商売だから。

フィリピン2012 旅記録 5

2012年04月03日 | フィリピン
今日は午後から移動開始だ。
13:46 タクシーでTerminal 3へ移動。運転手にターミナル 3 cebu pacificと告げたにも関わらずターミナル 1&2 に向かう、わざとか?そんな考えが頭をよぎったが、そんなことを気にしないことがこの国で生きるコツだと思う。

いつものように空港内に入るための列にならび形だけのセキュリティチェックをす済ます。check in が無事終了した。心配していたCebu pacificの国内線のcarry on bag の重量制限は7kgまでだった。ボラカイだけが5kgまでだったのだ。時間に余裕があり過ぎたのでCINNABONで一服した。coffee and mchbonでP185もした。やはり国際規格である程度まともなものは日本より高い!ちなみに昼食は朝飯を食べた店でチキンカレーP50only。バクラーランという地区の大衆食堂の値段だ。貧しい人にはそれなりの物が用意されている。

搭乗そして到着
Sillayと言う街にできた新しい空港、利用するのはこれで3度目だろうか。ローカルのトランスポテーションを利用すればかなり安くバコロドまで行けるが今回はそんな気力がないので乗り合いのVANを利用した。

Pension Bacolod
想定外のFree Wifi これがあったため退屈はしなかった。
きれいな部屋がP290(^^)v

フィリピン2012 旅記録 4

2012年04月03日 | フィリピン
旅3日目

乗り継ぎ便の予約の日にちを間違えたのでなかなか目的地に到着しない。 それでも一泊630Pesosの宿に泊まれたので余計な出費はかなりおさえられている。この部屋のクオリティでこの価格はかなり高いとしか言えないが、これが相場なのだろう。それどころか前回の宿があまりにも割り高だったので得をした気分だ。

夕食朝食と続いた日航ホテルの食べ放題に続いた昼食の機内食を最後に何も口にしなかったが、昨夜は全く空腹を感じなかった。

今朝はさすがに少し空腹を感じたのと外を眺める窓と言う最低限の設備さえ欠落した閉鎖された空間に籠り続けるのも精神的に不健全だと思ったのでホテルの外に出ることにした。

外界から遮断された薄暗い部屋に慣れてしまっていた躰には南国の朝の光が眩し過ぎた。この世が楽園であるかのように無邪気に戯れあう仔猫を数匹連れた母猫が嬉しそうにその光を全身に浴びていた。

そんなノンビリした朝の一時を過ごす猫達とは対照的なのが人間達だ。路肩には足の踏み場も無いほど物売りが思い思いに店を拡げ、路上はジープと呼ばれるこの地区の公共交通の主役達がステンレスやブリキの車体に朝日を反射させながら我が物顔で闊歩していた。露店とジープの間の人一人がやっと通れるスペースに買い物客や重そうな荷物を積み上げた小さな手押し車がひしめきあっていた。正に混沌そのもの、初めて見る光景ではないが改めてフィリピンにいることを思い知らされた。

ホテルから歩いて5分程の所にあった大衆食堂でアンパラヤと卵炒めというこの国の定番料理を食べた。アンパラヤとは苦瓜のことだ。味は沖縄の美味しいゴーヤチャンプルの半分程度としておこう、フィリピンの大衆食堂はだいたいこんなもんだ。値段はP50だった、以前と比べて少し高いような気もしたがご飯がかなりの大盛だったのでこんなものなのかもしれない。恐らくマニラの物価はかなり上昇しているはずだなどと思いながら支払いを済ますと店のおばちゃんが茶目っ気を交えて日本語で「アリガト」と言ったので思わずこちらも微笑んでしまった。こういう些細なやり取りもフィリピンならでは味がする。

混沌とは別に雑踏を歩く人々の様子が日本人のそれとは全く異なることに気がついた。日曜日で教会へ足を運ぶ人が多かったのもそう感じた理由の1つなのだがそれだけではない何か表しようのない力を感じた。大袈裟に言うと別世界の住民を見ているような感じがするほどの違和感があった。以前余りにも長くこの国にいたので感覚が麻痺していたのだろう。違和感の要因は何であるにせよ日本人が完全に失いつつある大事なものであることには間違いなさそうだ。





フィリピン2012 旅記録 3

2012年04月03日 | フィリピン
旅2日目 QUIRINO HOTEL

フィリピン航空に搭乗したので機内食も食べられた。4 時間とは言うものの機内は退屈だ。入国手続きの長い列、それでも前回ANAが到着したターミナル3よりは待ち時間がはるかに短かった。

今回フィリピン航空の利用で何よりありがたかったのは明るい内に到着出来たことだ。取り合えずジープに乗ってバクラーランまで行った。LRTに乗りキアポまで行き以前よく利用したの安宿にでも泊まろうかと漠然と考えていたが、途中でQUIRINO HOTELという名の安宿が目についたのでそこを訪ねて部屋の有無を確認することにした。チェックインカウンターの女の子が愛想もなく値段の説明をしてくれた。24時間でP630。1200円位か?

念のため部屋を確認した。きれいな部屋ではなかったが面倒なので泊まることにした。

実はそのとき日本語を話す親切の押し売りをするおばさんに付きまとわれていたので半分HOTELに逃げ込んだようなものだった。




夕方涼しくなったら外に出て晩御飯でも食べた後辺りを散策しようと思っていたが、結局外出はしなかった。



フィリピン2012 旅記録 1

2012年04月02日 | フィリピン
旅1日目 まさかの flight cancel

JQ Jetstar airline or airways のManila行きのチケットが格安だったことがきっかけで始まった今回の旅。

長い間勤務した馴染みの成田空港、Jetstar のcheck in counterが何処にあるかも当然わかっていた。

第2ターミナルの入り口を背にして一番左端のカウンターに着いたが様子がおかしい。乗客が誰も並んでいないのだ。情報が表示された柱に目をやると搭乗予定のJQ78便がキャンセルになったと英語で地味に表示されていた。

案内係のお姉さんが近づいてきて目と鼻の先にあるカウンターまで丁寧に案内してくれた。フライトがキャンセルになったと伝えられたので明日の便は?と事情もわからずに尋ねると朝出発のフィリピン航空になりますけどといわれた。今夜のホテルは?と聞くと既にバウチャーが用意されていた。

全ては想定内なのだ。日本語教師養成講座修了式の最中にJetstarから電話があった、さすがに話ができる状況ではなかった。後でカスタマーサービスに電話してくださいといわれた。その後メールをチェックすると出発時刻が午前から午後に変更になったのでキャンセルするか新しいフライト時刻に変更するかを選択して決めて下さいという内容だった。キャンセルの場合往路便のみが対象なので変更を選択し予約がconfirm されたので安心していた。

ちなみにキャンセルの理由はフィリピン政府からの許可が遅れているためということだった。さすがはフィリピンと言う感じだ。


そんな経緯からその日は夕食朝食付きでホテル日航成田に宿泊することになった。

夕食用の弁当を空港内で買ってしまったことと、今回に限って到着日の宿を予約してしまったので100%のキャンセル料がかかってしまうことが失敗だったがトータルで得をしたのではないだろうか。というのも国内線の乗り継ぎ便の予約日を一日間違えていたからだ。うっかりして3月が31日まであることを忘れてしまい本来の日より一日遅れの4月1日に予約をいれてしまっていたので用もないマニラで何をして一日潰そうかと考えていたからだ。