特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

私の辞書に努力と継続と言う文字は無い。
1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

バコロド近郊の観光名所

2008年03月26日 | フィリピン


今回はリゾートアイランドの紹介です。

この日3月20日からフィリピンではイースターに関連した連休が始まりました。
Cadiz というのは、BacolodからBusで一時間くらいのところにある街です。海格という社名の中国製のとても快適な新しいエアコンつき小型バスに乗ることができました。運賃は片道P75でした。
この携帯電話のカメラで撮った写真ではわかりにくいですが、よく見ると、この沖合いに島があります。わかりますか。
海の水というより大雨の後の濁流という感じの水質ですが、沖合いの色はちゃんと南国の海の色をしていましたよ。
連休ということで島に渡る船を待つ人がたくさんいました。多分70人以上?
するとGMかFordの黒い大型ピックアップトラックに、これまたカラバオのように大きくて黒いジェットスキーを牽引してきた人がやってきて、船を待つ人々の羨望の視線を浴びながら、一人そのカラバオのようなやつにまたがってサッサト島へと渡った人がいました。

そこで一時間近く待ったのですが、結局いつになったら船に乗る順番が来るのか誰もわからないので、またの機会と言うことにしてこの日は帰ってきました。
と言うことで、白い砂浜のリゾートの報告もまたの機会というとになります。

今年オープンした小型のショッピングモール。

2008年03月26日 | フィリピン


テナントが少なく入居率3割くらいです。
ここの1階にあるレストラン、値段もお手ごろで、いつも閑古鳥しか鳴いていないので、おまけになぜかBGMを流していないので異様に静かでいいですよ。場所は以前紹介した黄色い建物の隣で、ガイサノシティの近くです。
ちなみにこのレストランの隣のテナントのバーにはいつ見ても客がいっぱいです。


入院生活

2008年03月26日 | フィリピン


このブログへのビジターも減少の一途をたどっている今日この頃、最近ではこれを読んでいる人がいるのかどうかさえあやしいという状況です。しばらく更新していなかったのは体調に異変が起き入院していたからです。

そんなわけで、まず入院生活からの報告です。
病院はタクリンにある、7th day アドバンティスト メディカル センターというところ。
部屋代、個室の料金が一泊僅かP1200!3食付でこれなら、住んでもいいと思いました。エアコンはあったけど、テレビはありませんでした。ここは菜食メニューで、おいしかったですよ。でも肉を食べなきゃ食べた気がしないと言う人にはお勧めできません。

ある日、右わき腹が痛くなり、その痛みが5日たっても治まらないので医者に行きました。せきやくしゃみをするとかなり痛かった。たたいて振動を与えると痛かったけど、押しても痛くない。結局原因究明のため、即入院。超音波の出る機械で調べても異常がなかったので、手術などといことにはなりませんでした。結局、筋肉痛か、雑菌が混入して内臓の一部が炎症を起こしているのではということになり、抗生物質と痛み止めを服用。

教会関係の病院なのでパスター見習いの巡回や、よく話す看護婦の恋愛相談をしたり、友人の訪問もあり退屈しませんでしたが、肝心の医者の訪問が朝一回だけ。
テレビのある部屋にアップグレードしようと考えていたのに、痛みが和らいでしまったので2泊しかできませんでした。
費用は検査代やらなにやらでP9000でした。やはり入院暮らしは安くない。でも、フィリピンで民間の医療保険に加入していたので、自己負担はP600くらいで済みました。

日本人撃たれ死亡

2008年03月09日 | フィリピン
「携帯電話を出せ」抵抗の日本人撃たれ死亡…比・ルソン島
2008年3月8日(土)13:10

* 読売新聞

 【マニラ=稲垣収一】フィリピン国家警察は8日、兵庫県尼崎市の会社員伊藤純一さん(45)がルソン島中部ヌエバエシハ州カバナトゥアン市で2人組の男に襲われ、射殺されたと明らかにした。

 国家警察によると、伊藤さんとフィリピン人の妻(24)らが5日にタクシーで移動中、オートバイに乗った2人組が停車したタクシーに突然乗り込み、伊藤さんに「携帯電話を出せ」と拳銃を突きつけて脅迫。伊藤さんが抵抗したところ、頭部に銃撃を受けた。2人組は逃走した。

 伊藤さんは2月下旬から妻の実家を訪れ、親族らと国内を観光していた。

住所勤務地不定

2008年03月06日 | フィリピン


これと同じ型の船で働いていました。番号は653でした。あれから40隻以上つくられているということになります。

信じがたい話ですが、これは木製です。磁気の発生を抑えるのが目的です。
ここでの船員生活、常に移動を繰り返す暮らしが、いまだに体に染み付いていると思うことがあります。

今自分の船を買おうと思っています。たぶん数年以内に実現すると思います。残りの人生はミクロネシアあたりの排気ガスのない海上でのんびりしたいです。

Yes we can By Illinois Sen. Barack Obama

求む、日本人語学留学生 先生はかわいいフィリピン人ばかり?

2008年03月06日 | フィリピン
先月SMデパートで化粧品を数点万引きをした韓国人女子学生2人組みが捕まりました。
それほど、ここBacolodにも、韓国から来た語学留学生がたくさんいます。中には、親元を離れ小学校を一年間、休学して英語を勉強している子もいます。


日本からの留学生も以前いましたが、今はどうなのでしょうか。
もっと日本から留学生が来てもいいと思います。

特に、英文法の基礎もよく解らないけど、英会話ができるようになりたいと突発的に思いついた人や、特に具体的な目的はないが、英語ぐらいできるようになりたいという人には、お勧めです。というのもここでの授業はほとんどが一対一で行われているので、何か言わないわけにはいかないからです。アメリカの語学学校のクラスでは、よくしゃべる南米人や中国人の中で存在感がなくなり、挫折感を味わう日本人、韓国人が多いのですが、ここフィリピンでなら、そういうことも少ないと思います。

しかし、一時的な挫折はありますよ、以前大学の近くのカフェで韓国人の男子学生が、かなり落ち込んでいたを必死に励ましながら授業か補習をしている、フィリピン人の若い女の先生の姿を見たことがあります。しかし、何を言ってもその学生は黙って下を向いていました。今でもおぼえている質問は、「あなたの部屋の中に何がありますか。」韓国人の学生が黙っていると、その先生は「部屋の中に何もないの?」「テレビも椅子もないの?」するとその生徒はおもむろに「BED」と答えました。すると先生が「Very good!」(翻訳、キャー感激ついに言葉を発した!)

この韓国人の学生の気持ちを代弁すると、それをどう答えていいか解からないから、ここまで勉強しに来てるんだよといった感じでした。

個人的にはアメリカの語学学校で、みんなと一緒に勉強したほうが、英語を母国語としない世界中の人と友達になれて楽しいと思います。

フィリピンで英語勉強しても、たとえば商店でおばさんが英語を話すわけでもないので、How much? というべきところをピラ?と訊くようになってしまうと思います。

その点、アメリカだったら、レストランのウエイトレスに注文するときでも英語で話すことになるので、やはり生きた英語が学べるように思えるのです。
ここで買ったものを手渡されて、Here you are.なんて言われたことないですからね。
ニューヨークで南京錠を買いに行ったとき、そのKEYをくれといってしまい、黒人のおばさんにこれは、LOCKだよと親切に教えてもらったことを覚えています。

そんなわけで、フィリピンが好きで、しかも韓国人の友達をつくりたい人には、ここでの語学留学がお勧めします。韓国人の学生もこの後カナダやオーストラリアへ再留学する準備として、ここで勉強している人が多いです。

写真は以前、韓国の留学生に英語を教えていたフィリピン人の先生です。


夢日記

2008年03月05日 | フィリピン


仕事が決まり、翌朝から従業員として働き始めることになった夢を見た。
本来なら、準備を整えなくてはならないのだが、どこで働きどんな仕事をするかもわからないので、とてつもなく億劫な気分になり、何で仕事をすることにしたのかを思い出そうとしていた。とんでもなく誤った選択をしてしまった、そんな気になっていた。
しばらくすると、現実の世界では面接で不採用になったことを思い出し、今の展開が夢の中での出来事であることを確信した。そうしたら急に気が楽になった。

中華街

2008年03月04日 | フィリピン
チャイナタウンスクェアというとことに行ってきました。
やはり、日本の感覚で言う中華街とはまったく縁遠いものでした。

露天がひしめき合っているような感じの小さな店がいっぱい。
3平方メートルくらいの小さなスペースのてなんてのもありました。

もっとも、売られているもののほとんどは、Made in Chinaなので、ChinTownといえないことも無いのですが。

アポロという地元中華料理店出店していたのが、救いでした。
ここのあじは、ここバコロドではかなりおいしいほうです。メニューと好みにもよりますが。