特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

私の辞書に努力と継続と言う文字は無い。
1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

どうりで痛かったわけだと

2008年02月15日 | フィリピン
同じ年に
ホールドアッパーにも遭遇した
クリスマスを間近に控えた
ある日の晩
愚かにも人通りも、車の通りも少ない道を
のこのこ一人で歩いていた

ラサールという大学のすぐ近くで
金持ちの家がライトアップした飾り付けを並べて綺麗だった
治安は悪くないと楽観していた
まだフィリピンをわかっていなかった

家まで後50mというところで
トライシカルが後ろから近づいてきた
どういうわけか減速をし、停止するや否や
男が三人飛び降りてきて、そのうちの一人に体当たりを食らった
まったくの不意打ちだった
彼等は銀色に輝く拳銃を持っていた
リボルバーではなく、半自動式のものだった

後になって思い出すとあれらは全ておもちゃだった思う
半自動式の拳銃は高価で貧乏人には入手できないのだ
錆が出ている小口径のリボルバーなら本物の可能性が高い


正直な話、生まれて初めて怖いと思った
それでも無意識に財布を押さえて抵抗していた
体中を蹴られた

というのも昼間ロビンソンデパートで
ATMから2万ペソをおろしたばかりだったのだ
そのうちの一発がアバラを直撃した

携帯電話も取られた
この事件以降ミンダナオの友達と音信不通になったのが残念だった

一番困ったのは日本のCitibankのATMカードも財布といっしょに取られたことだ
これがないと日本の口座にあるお金を下ろせないのだ

犯人たちが発ち去った後
全身の痛みをこらえてなんとか立ちあがることが出来た

すると別のトライシカルが近づいてきた
男が運転、同乗していた女がタバコを吸いながら
ホールドアッパーにやられたのかと声をかけてきた
そうだと答えた、するとトラシカルの色は緑だったと教えてくれた

しかし、トライカルの色はオレンジだったのをハッキリ覚えていた
警察に誤った情報を通報させるためにこんな手の込んだ小細工をしたのだ
この2人も犯人の仲間だ、そう確信した
反論しても仕方ないし、そんな力さえ残っていなかった
家まで送るといわれたが強盗に家を教えるわけには行かなかったので断った

その日の晩は痛みが激しく満足に寝られなかった
そしてその痛みは2ヶ月以上続いた、毎晩寝返りを打つのにも苦労した
以前、あばら骨はギブスができないので
医者にかかっても同じだと聞いたことがあったので
医者には行かなかった

年が明けた2月
CitibankのATMを再発行するために日本に帰ることにした
寒さのためかあばら骨の痛みが再発した
カードが再発行されてから懲りずにフィリピンに戻った

その事件から半年後、肺炎にかかりレントゲン撮影をした
医者が随分ひどい怪我をしたね、あばら骨が3本折れてるよ
もうくっついちゃってるけどと言うではないか

なるほど
どうりで痛かったわけだと納得した

By jj
Bacolod City Philippines

ミンダナオの田舎からバコロドに移転した年のことだ

2008年02月15日 | フィリピン
もう4年前のことだ
ミンダナオの田舎からバコロドに移転した年のことだ

日本に帰ったとき京セラのデジカメを買った
たしか3万円くらいだった
日本では実家で飼っていた
アメリカンショートヘアにちょっと似ている
猫の写真を数枚撮った

そのころバコロドではデジカメはあまり普及していなかった
値段も随分高かったように記憶している

その時宿泊していた宿の近所の子どもや
宿の近くに赤十字で介護士なるコースを受講していた
新しく知り合った友達達の写真を20枚くらい撮った
そのうちの一人が、冗談半分にこれ私に頂戴?と言ったのをおぼえている


宿に帰ってもやることもないのでダウンタウンを一人で歩いていた
そしてプラザのベンチに座って休むことにした
その辺にたむろしている子どもたちが
いかにも困ったような表情を作りお金をくれとやってきた
小汚い身なりをしていたので1ペソづつあげることにした

しばらくするとあきらかにいかがわしそうな女が2人話しかけてきた
一人は24歳と言ったがどう見ても37歳にしか見えなかった
5ペソくれと言うので5ペソ上げるから向こうへ行ってくれといった
それでもいっこうにはなれず
このショルダーバッグの中には何が入っているんだときかれたので
カメラとか携帯電話、それにパスポートも入っていると馬鹿正直に答えた

いよいよ面倒になり場所を移動することにした
するとまたその怪しげな女2人組みがツイテ来るではないか
再び場所を変えてもしばらくするとまたその2人が現れる
これは絶対財布をするチャンスを狙っているのだと確信した
だからはじめに5ペソをねだり、現金の場所を確認し所持品を確認する意味で
色々と質問したのだ
まあ、気をつけていれば大丈夫と思った

そんなことを思っていると危なそうな男がやってきて
金のネックレスをひったくってきたから買ってくれと
チェーンの切れたネックレスを差し出した、そんな犯罪に関わるわけにはいかないので
いらないと断るもしつこくすすめるそんなやり取りをしている間に
いかがわし女2人組みがスーッと立ち去った
そして男もそれを売るのをあきらめて去って行った

アーやれやれ、これでせいせいしたと思った。
ふとポケットに手を入れると何かがおかしいことを感じた

小銭入れがなくなっていたのだ、まあ200ペソも入っていなかったからいいや
と思い、念のためショルダーバックをみるとジッパーが開いているではないか
このとき全身から血の気が引いた。いやな予感がしたと言うより確信したのだ

そしてその確信通りわざわざ日本で買ってきたデジカメがなくなっていた
呆然としたとはまさにこのときの心境だ
あの危なそうな男は怪しげな女達とグルだったのだ。
それでもパスポートと携帯電話は無事だったので
まあ、いいやと気持ちを切り替えあきらめることにした

しかもポケットの中に小銭が残っていたので宿までJeepに乗って帰ることも出来た
このときの5ペソ以上に価値のあったお金はその後ない。

後日友達にカメラを盗られた事を話すと案の定
だからあの時私にくれてればよかったのにと言われた。
たしかにそのほうがよかった

By jj
Bacolod City Philippines

The beginning Mindanao 1

2008年02月15日 | フィリピン


フィリピん1年目は損の嵐が吹き始めた年だった。
これが問題なのだ、結局誰かに名義を借りるということして、ミンダナオのビーチから徒歩一分のところにある床面積200平米の家一軒おまけにビーチまでの土地も全部込みで約1800平米、これがたったの75万ペソ。名義はそのあたり数ヘクタールが祖父のもので、財産分与後も名義変更はしていないのでそのままにしておけばいいという言葉と、弁護士に書類を作ってもらいそこには自分の名前が書かれていたので、いざと言うときは何とかなると思い決断した。
後日解ったことだがその大きな家は、大体この辺が自分の土地とお爺さんら聞いているいう感じで建てられた物なので、隣の土地にはみ出しているというではないか、真相をハッキリさせようとわざわざ一万ペソを支払って測量をすることになった。困ったことに隣の土地の測量士がここだという境界線と今回の測量で出した境界線が一致しないのだ。ただ悲しいことにどちらの境界線が正しいにせよその家の少なくとも3分の1は土地の境界からはみ出したところに鎮座していることがわかった。なるほど、いわくつきの物件だったのだ。屋根に上ってみる景色はリゾートホテルから眺めるビーチのようにすばらしかったので2階を増築と考えていたが、この事実を知ってからどうでもよくなってしまった。

By jj
Bacolod City Philippines

Introduction

2008年02月15日 | フィリピン

いつものように
戦争と呼ばれている
大虐殺がはじまった

その様子を
キアポの電気屋で
売られている
日本製の中古テレビで見た


何も知らない
若い兵士は
正義という名の美名の下に
破壊と殺戮を繰り返し

その代償を
自らの生血を流すことで
支払わされた

明日は我が身という
恐怖で気が狂いそうになるのを
必死にこらえ

彼等は
今もそこにいる

あれから5年が過ぎた
キアポでは今も
日本製中古テレビが売られている

何故フィリピンにいるのだろう


By jj
Bacolod City Philippines