特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

私の辞書に努力と継続と言う文字は無い。
1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

古着

2007年07月12日 | フィリピン
今日は、このブログを始めたので何か活動しようと思い、〔活動が先じゃないところがなんとも。。〕いつもバコロドで見かける、路上で生活していると思われる家族に古着を上げることにしました。
その家族にあげようと思った理由はわたしが知る限りでは一番生活に困っていそうだったからです。

運良くいつも見かけるあたりにそのまだ幼い娘3人を連れた母親を見つけました。
スーバーのレジ袋に入った古着を受け取ると小さな女の子たちが、中を嬉しそうに物色していました。本当はその姿を写真にとりたかったのですが、母親がそれを拒絶したのでとるわけにも行きませんでした。

慣れないことをしたので、珍しく小恥ずかしい気分になりました。
こういう地道な活動をこれからもつづけていければいいのですが。

July12 2007追記
実はこの時のお母さんの迫力ある表情が映像として、焼きついてしまい人間の強さとはなんだろうなどということを考えさせられました。本当は路上で生活している人たち何箇所に分配しようと思っていたのですが、迫力に負け全部このお母さんに渡してしまったのです。

フィリピンの義務教育と教育制度

2007年07月12日 | フィリピン
先日弁護士の方にお聞きしたのですが、どうやらこの国には義務教育という制度がないらしいのです。

子どもを学校に通わせるか否かは、親や家族が決めることということでしょうか。
経済的に余裕が無い家族の子どもは、幼くても労働力となってしまうのです。


こういう書き方をすると、なんだか学校に行けない子どもがかわいそうな感じを受けるかもしれませんが、近所で働いている子どもたちが、悲壮さを漂わせながら仕事をしているというわけではありません。どんな状況でも強く明るくそして楽天的それがこの国の国民性なのかもしれません。

日本の学校制度は6334制ですが、フィリピンでは644制です。最も幼児教育のスタートも早いので実質的に日本の教育期間と同じくらい勉強しています。

ごみの利用法、リサイクル

2007年07月12日 | フィリピン

 

フィリピンでは、ごみの分別が日本のように細かく制度化される日は来ないような気がします。
今はまだ、ごみはゴミ箱に捨てましょうさえ、十分周知されていません。残念ながら、ポイ捨てはいまだに市民権があるようにみえます。

新聞の記事によると2007年7月からバコロの生ごみを使ってバイオガスを発生させ、それで発電し、その電気を利用して走るジープを運用するということでしたが、本当なのでしょうか?

その後の新聞記事ではマニラの集中的に開発されている某地区に電動ジープが運行されるとありました。

写真はバコロド市内の北公衆市場(通称ブルゴス)にある、ゴミ箱です。

Bacolod City Negros OCC Philippines.


学歴と学校?

2007年07月12日 | フィリピン
仕事をしている子どもたちの本音を聞きだすのは楽ではなさそうです。
みんな学校には行きたくないというですが、本心でそういっているのかどうかわかりません。

自分が子どものとき学校に行きたいと思っていっていたわけじゃないのだから、行きたくないというのが本音のような気もします。それに、学校に行かない仲間同士、暇なときはバスケットボールをして遊んだり、見ていても楽しそうです。

それに、例えば小学校、中学校を卒業したからといって、その学歴により仕事に就けるわけでもないのです。

しかも、この年で大人と同じように稼いでいる彼らは、親兄弟、親族からの仕送りに頼って何も仕事をしない大人よりずっと立派で誇り高い生き方をしていると思いました。

でも、本気で勉強したい子どもがいたら、それは何とかしてあげたいとは思いますよ。

ジープの屋根の上に!

2007年07月10日 | フィリピン

最近、ジープ(じぷにー)の屋根の上に巨大なといっても

全長2.5mくらいの大きさのコーラのボトル

をのせた物が走っています。

今まで広告媒体としては、SMがオープンするときにやはり屋根の上に広告をのせていたジープがありましたが、今後はローカル交通もいよいよ、資本主義社会の一部として広告塔のロールを積極的に演じるようになるかもしれません。

写真を撮りたいのですが、いつもいいタイミングで出会いません。

この町には日本でおなじみのメーカーの他に、ローカルブランドのコーラもあります。これはJazzという名前で、値段の安さもあり結構人気があるようです。味もそれほど変ではありません。小瓶いっぽんの値段はP7です。

ちなみに屋根の上に大きなボトルの載せているのはローカルメーカーではありません。

Bacolod City Philippines

バコロド市  ネグロス フィリピン
  


夢日記4

2007年07月04日 | フィリピン

夢日記4<o:p></o:p>

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ある日の午後、潜水艦の非番の乗員たちは、ボランティア活動として港に浮遊しているゴミをゴムボートに乗り回収していた。その日私も非番だったが、軍人が民間のためにゴミ集めをすることに疑問を感じ、水測員として勤務し乗艦していた。「日本も平和だな。」そんなことを思いながら、先日香港に寄港した際購入したテトラパックに入った中国茶を飲んでいた。すると、当艦を目標に超高速で進んでいる魚雷を伊豆大島沖合いに探知した。艦長に接近中の魚雷があまりにも高速なため乗員を呼び戻す時間が無く、今すぐ出港、潜行し回避行動を取らなければ100%撃沈されることを報告、艦長もそれを受け、緊急発進を敢行した。ところが、この艦長、銀座にある日本円のマークのあるサラ金のビルの下で妻と待ち合わせをしているので、まず水上を航行し竹芝桟橋方面に向かい、そのサラ金を発見し、そこで妻を乗艦させたのち、潜行し回避行動に移るというではないか。水測員の私には、そんな奇想天外な作戦とも呼べない愚考を実行したらこの艦がレインボーブリッジの下を通過する頃に魚雷が到達し、撃沈されることは明白だった。そんなことになればこの艦だけではなく橋自体に損傷が及ぶ大惨事である。これほどの危機が迫っているというのに、呑気な艦長は艦橋に立ち双眼鏡で夕日に染まるコンクリートジャングルの中から円マークのあるサラ金を探すのに夢中だった。艦橋のハッチから僅かに漏れてくるカラスの鳴き声がそんな艦長を嘲っているようで滑稽だったので、再び中国茶を飲み始めることにした。<o:p></o:p>

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<o:p>Bacolod City Philippines </o:p>

<o:p>バコロド フィリピン</o:p>


夢日記3

2007年07月04日 | フィリピン

夢日記3<o:p></o:p>

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とある都会の路上でそれは見事なサイドキックを披露したり、体操選手顔負けのひねりを加えた空中回転をしながら、冷淡な顔で歩き続けている謎の男が目に付いた。不思議なことに道行く人々は全く関心を示していなかった。偶然その男が向かったビルは私の目的地と同じだった。男はビルの入り口にいた警備員に近づくや否や、目にも止まらないスピードで警備員のズボンのすそを捲り上げて靴下の中に隠してあった携帯ナイフをとりあげてそれを開いた。<o:p></o:p>

男はその刃を警備員にちらつかせもせず、入り口近くの関係者以外立ち入り禁止になっているセキュリティールームに入れるように要求していた。警備員も何がなんだかわからないまま、その男の持つ圧倒的な威圧感に呆然としていたが、責任感が強かったのだろう、ただ言われるままにするわけにはいかない様子だった。すると男は取り上げたナイフを大きなガラス製のセキュリティールームの入り口のドアに投げつけた。そのナイフは不思議なことにかなりの厚さを持つガラスをすんなりと通り抜けてしまった。<o:p></o:p>

その様子を見たセキュリティールームの中にいた警備員が恐れをなして、部屋の入り口を開けてしまった。<o:p></o:p>

この場にいたら危ないと直感的に感じ、取り敢えずビルから逃げ出そうと思っていたら、ビル自体が非常事態にあることを宣言するアナウンスがあり、全ての出入り口が緊急閉鎖されることになった。以前私は、知り合いのビル関係者から、社員食堂にある礼拝堂の裏側に秘密の通路があることを聞いていたので、そこへ向かい何とかそのビルから脱出することに成功した。しかし、非常事態にあるビルはそこだけではなかった。どうしたらいいか解らず途方にくれているとき以前旅行中に知り合いヒマラヤの秘境を共に旅した、オーストリアの女の子と再会した。どういうわけか彼女はイスラーム教に改宗していた。理解不能な状況下で今まで見たことを話しあった末、2人でこの街から逃げ出すことになった、そう決めた次の瞬間には2人は既にニューヨークに移動していた。まだ9月の中旬だというのセントラルパークの木々が紅葉をし始め冷たい冬の到来が近いことを告げていた。<o:p></o:p>


夢日記2

2007年07月03日 | フィリピン
昨夜は、見知らぬ国をバスで旅行している夢を見た。ある種のツアーに参加していたのかもしれない。なんだか今まで見たことのないSF的デザインの金属とガラスで建造された家が建ち並ぶ超未来都市的高級住宅街の脇を通り、それほど高級ではないが建物の色合いとデザインに統一感があり、その中央には澄んだ渓流が流れ、そこで子どもたちが水遊びをしている住宅街の脇を通った。こんなところなら住んでもいいなと一人バスの車窓を眺めながら思った。

途中バスガイドかツアーの添乗員がここは輸入品が豊富でとっても安いんですよとアピールし、車内販売を始めた、売っていた物はどういうわけか北海道の木彫りの熊と、瑠璃色をしたモロッコの小さいタイルのキーホルダーだった。しばらくするとバスは超大型コンドミニアムの中をあたかも東名高速のトンネルでも通り抜けるように物凄いスピードで走り抜けた、しかも、その両脇には住人の部屋への入り口となるドアが並んでいるのだ。凄いところに住んでいるなと驚くと同時に、ここには住めないと思った。バスの通路を挟んだ隣に座った女の人はもうすぐ子どもが生まれそうな感じがすると訴えた。話を聞くと行き先は郊外にある最新式の総合療養施設でなにがなんでもそこで出産したいらしかった。バスがその超大型コンドミニアムを通り抜けるとそこは長閑な田舎の風景だった。しばらく田舎道を走るとエメラルドグリーンの海が見え、そこでしばらく休憩をすることになった。そのときバスに同乗している人からビデオが添付されたeメールを受け取った。不思議なことにまだバスを降りたばかりだというのに、その場所で他のツアー客と共にバスを降りた開放感から、ややはしゃぎながら海に向かって歩く私の姿が映っていた。再びバスに乗り込むと車内で仔犬がズーッと鳴き続けていた。いつまでたっても鳴き止まない仔犬の鳴き声で目を覚ますと実際に近所の仔犬が寂しそうにくんくんと鳴いていた。

From Philippines Bacolod City

夢日記1

2007年07月03日 | フィリピン

一昨日の夜は日本の快適な電車の中で安眠している夢を見た。その時は中学のときの同級生のS一が緒だった。はじめ普通の車両に乗り込んだが、席がガラガラだったので、Sがこれならもっと快適な2階建て車両の2階席も空いているはずだからそこに移動しようというので、少々面倒な気もしたがそうすることにした。しかし、そこは背広を着たサラリーマンでいっぱいだった。当然、既に空席はなかったが今更元の車両に戻るのも億劫だったで、私は以前インドの長距離列車内でそうしたように網棚に横になることにした。そして、その網棚はインドのそれとは違いすこぶる快適だったので、僅かな電車の揺れを子守唄代わり、夢の中で熟睡し快適な気分に浸っていたが、しばらくすると眠りが浅くなった、その時ベッドの脇の壁にピッタリと身を寄せて寝ていた自分の寝姿に気付いた。たぶん網棚から落ちないようにそんな姿で寝ていたのだと思う。寝返りを打ってベッドの中央に身を移すと、そこはもういつもの寝室になっていた。


My student

2007年07月02日 | フィリピン
Bacolod Philippines
バコロド フィリピン

こんにちはぼくの名まえはたろうです。
もちろん本名ではありません。
この名まえはぼくのにほんごの先生がつけてくれました。
いま、大学の看護学科の一年です。

もっと日本語をべんきょうして日本に行きたいです。
日本の人とともだちになりたいです。

だれか、メルトもになってくれる人いたら、コメントで連絡してください。

★彼は自宅にPC持っています。