特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

私の辞書に努力と継続と言う文字は無い。
1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

通りを歩く姿。

2008年08月27日 | フィリピン
寒いわけじゃないけど、雨だからでしょうか。ハーフコート日本だったら10月以降でしょ。

はっきりいって、朝だけど軽く蒸し暑いくらいでした。

ファッションという意味もあるのでしょうね。せっかく持ってるに着ない手はない。

そういえば、マフラーは結構使っている人見かけます。

時間感覚と熱帯魚

2008年08月22日 | フィリピン
熱帯魚という物の正確な定義は知らない。色彩豊かな南方の海で優雅に泳ぐそれがマーケットで食用として売られ色あせてしまった状態ではもはやそれは、私のイメージする熱帯魚ではない。しかも、輸入された鮭の頭の三分の一程度の値段で売られているにも関わらず売れ残り、閉店間際のマーケットにボツンと取り残されたそれは、いったい何のために捕獲され、つまり殺戮されたのだろう、そんなことを考えた。

早いもので今日でここMakati Cityで働き始めてから丸々4ヶ月を過ごすことになる。光陰矢の如しというのだろうか、一年の内3分の1を過ごしているのである。

いったい何のために仕事をしているのだろうと疑問に思いながら、日々を送っていると自分もマーケット売れ残った熱帯魚と同様に無意味に存在に思えてくる。

車椅子の移動

2008年08月21日 | フィリピン
今朝、車椅子を見た。自走しているわけではなく、介助者が押していた。考えてみたらMakatiの歩道を車椅子で自走するということは実質不可能である。

バリアフリーなどという概念は、街づくりに全く反映されていない、反映されていないのではなくそういう概念そのものが欠落しているのだろう。日本もいたるところに車椅子にとっての障害はあるが、この街のそれに比べたらはるかに快適に移動できることになる。

もし、電動車椅子で出かけるとすれば、必然的に車道を利用することになる。そして、それはそれでまた恐ろしくハイリスク、自殺行為に等しい事は容易に想像できるのであった。

いつもおもうこと

2008年08月20日 | フィリピン
これを書こうと思うことはたまにあるんですが、そういうのってあれなんだったっけ???という感じで忘れてしまいます。

メモに残しておかないとだめですね。

そうだ、今思い出した。昨日仕事の後、友人とご飯を食べにSMマカティにいって、その後、MRTの駅までその友人たちといったら、なんと駅に入る人でごった返していた。それでも秩序正しく列になっていた。

やっぱり、通勤ラッシュってあるんですね。ちなみに私は徒歩通勤、片道3km以上歩いています。

写真はないけど

2008年08月16日 | フィリピン
今朝、久しぶりに幸せな光景に遭遇した。
路上で生活しているような姿の父親と幼い女の子、衣類等が詰まったバッグから何かを取り出し、父親に何かを尋ねる時の笑顔、その表情があまりにも幸せそうだったので、その空間だけが自分が浴びている天からの光とは異なる光で照らし出されて祝福されているように、まばゆいばかりにか輝いていた。

その印象があまりにも幸せを象徴しているようだったので、その空間が切り取られ今でも3D画像のように、自分の脳裏に生き続けている。

フィリピンで仕事はいかがですか?

2008年08月07日 | フィリピン
ダバオ支店で勤務可能な日本人スタッフを募集致しております。

主な業務内容:日本査証申請に伴う書類のチェック業務

勤務時間:0900時~1800時(平日)土曜日は0900時~1200時

雇用形態:研修期間(6か月)を経て正社員に登用

応募資格:日本の専門、短大卒業以上の資格を持つ、25歳~35歳迄位の健康な方

待遇等:別途個々の面談やメール交信でご説明致します。

応募方法:写真添付の履歴書をメール添付で下記メールアドレスに送ってください。
    hp@discoverytour.ph (担当 植田迄)

8月16日現在 応募は応募を締め切りました。

原爆投下に思う

2008年08月06日 | フィリピン
昨夜も、DVDに録画されている日本のドラマを見てしまった。見てしまったという表現に意味があることはある。実は日本に住んでいたときにも、TVというものをほとんど見ない生活をしていたので、そういうものをわざわざフィリピンで見ることに抵抗があるのだ。実際、今まで見たドラマはどちらかというとイマイチという感じの作品が多かった。

しかし、昨夜見たはだしのゲンという作品は感動できる名作という感じだった。被爆地広島で戦争という時代に翻弄されながらも強く正しくを信念としてたくましく生きた少年とその家族を見事に表現していた。犠牲なるのは常に社会的弱者であるということは常に忘れないでいたい、そんなことを改めて思い出させる作品だった。

偶然にも何十年か前の今日、広島に原爆が投下された。恥ずかしながら、この作品も見るまでこの日に犠牲になった方々に黙祷を捧げようなどと考えたこともなかったが、今朝、そうすることにした。

列車を見た。

2008年08月05日 | フィリピン
偶然通りすがりの踏み切りで、それを見た。ただそれだけなんです。

写真を撮ろうとしたら、のりのいい乗客がポーズをきめる。

そんな姿を見た外国人がこの国の人は、とてもフレンドリーであると思ってしまっても、それがまちがいだとはいわない。

だから、ここで しかしという接続詞を使うことはやめておくことにする。

ただ、ただこの国で数年を過ごして改めて感じることは、人間は所詮人間の殻を破って生きることは出来ないのだから、何処の国の住人だろうと大同小異ということだ。

そう、ただ列車を見ただけだったんだ。

世界共通

2008年08月02日 | フィリピン
今朝、通勤途中かなりの厚手のジャケットに赤いマフラーを身につけたおしゃれがすきそうな男を見た。雨が降っていたので、それほど暑くはなかったが、涼しいというほどでもなく、ましてや寒さとは程遠い気温だった。まあ、使ってみたかったのだろう。

そういえば、大して寒くないフロリダの冬にも、高そうな毛皮のハーフコートを着たお金持ちそうなのお姉さんを見たことがある、しかもスーパーの中で。

人間の考えることはやっぱり似たり寄ったりということなのか。

やっぱりフィリピンに住んでいたんだ  再認識

2008年08月01日 | フィリピン
日中、集中豪雨といえるほど激しい雨が降った影響で帰宅途中、それも後わずかで部屋のあるコンドに到着というところで道路が冠水していた。この日こんなこともありうると予想していたので、途中のファーストフードの店で夕食を済ませていたのが唯一の救いだった。結局迂回路もないので、他の人達がしているのと同じように、靴と靴下を脱ぎスラックスのすそを捲り上げ、足首の上まで水に浸かりながら帰宅した。道路が川のようになっていたので、車が通り度にまるで船の引き波のように歩道をにまで小さな波が打ち寄せてきた。

そんなことがあったので、昨夜は久しぶりにエレベーターを利用し8階の自室へ戻った。