特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

私の辞書に努力と継続と言う文字は無い。
1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

マニラ旅行記 2 日本語の表示

2008年01月31日 | フィリピン
画像、やはりこれは中国語ではない。間違いなく日本語表示。

面接のための服がないので、SMデパートでフィリピンの人が着る服と黒いスラックスを買う。髪の毛もそれなりの見栄えがするように整髪した。ベルトは露天で購入した。わずかP50だった。


面接は、午後4時ということだったので、少し早めにマカティに向かった。マニラには過去何度も来ているが、マカティに行くのは今回が初めてだった。LRTに乗りGILなんとかという駅で降りてそこからバスに乗り換えた。これも日本の中古バスだった。ちょっと日本にいるような錯覚を感じる。そこからマカティは近かった。アヤラアベニューにあるアルベット3文字の名前があるビルにいきたかったので、バスのコンダクター(車掌)にきくと、知ってるんだかしらないんだか、よくわからない返事。

すると、そのやり取りを聞いていた、隣に座っていたシャンプーのCMに出てくるモデルのように髪の長い女の子が私もそこにいくというではないか、そこで働いているの?ときかれたので面接だとぶっきらぼうに答える、すると私も今日入社試験(筆記)なんですよ。偶然ですねといって、何か書類を見せてくれた、たしかにそこには同じビルの名前が記入されていた。それから2人でたわいない話をしていると、バスがアヤラアベニューに入った。道がいい、フィリピンの道は全て凸凹と思っていたが、この道は東京の南千住の道よりはるかに平らで滑らかだった。目的のビルは簡単に見つかったので、2人でバスを降りた。道路を横切るのに地下道を通らなければならなかったので面倒だった。その地下道の風景は東京の地下鉄の駅のようだった、そして臭くなかった。この時点で完全にここって、フィリピン?という感じだった。


ビルの受付で日本の会社あると聞くと、あるといって身分証明書と引き換えにエントリーパスをもった。受付の対応もフィリピンぽくない、都会的に洗練されていた。しかもビルの中には外人がいっぱい。気分は完全に別の世界という感じだった。バスに隣に座っていた女の子は目的の階が別だったので、別のエレベーターに乗った。お互いにGood Luck!といって別れた。以前だったら電話番号を聞いて、後で連絡したかもしれないが、フィリピンに5年もいるとそんなことしようと思わなくなってしまった。というのも人と係わり合いになると、ろくなことがないという経験があまりにも多かったからだ。



面接のためにオフィースにいくと、担当者が会議中なので、スターバックスで待っててくれといわれた。日本に23年住んでいた、去年比国に戻ってきたおばさんがその近くまで案内してくれた。そのおばさんがどう言う理由でかしらないが、開口一番“I hate Philippines”と言った。”Then, why did you come back here?”とたずねると、”I had family problems”と答えた。ここでも、あえてその理由は聞かなかった。

番外編 マニラ旅行記 1

2008年01月31日 | フィリピン
先日、仕事の面接のためにマニラに行った。時間だけは有り余っているので、のんびりとフェリーで。Bacolodを水曜日の午後1時に出港するはずが、荷物の積み下ろし二時間がかかり、実際に出港したのは2時を過ぎていたと思う。しかし、時計を見て確認したわけではないので、正確な出港時間はわからない。料金はエアコン付の船室といっても個室ではなく2段ベッドが並んだ大部屋で、食事を2食つけて、P1500ちょっと。
船内には、ラウンジ、食堂、カラオケなどの施設が整っている。この船は以前、日本で運航していたのだろうか、日本語の表示が今でも残っている。写真は、船内で充電中の携帯電話。
マニラ到着は、翌日、木曜日の午前11時ごろ。セブの港に船が着くと物乞いをする人が小さなボートに乗って集まるのだが、ここには誰もいない。ここの水の透明度は低そうなので、コインを投げ込まれても発見できないからだれもいないか、それともマニラには仕事が多いのでそんな採算の合わないことしていられないのか、その理由は定かではない。

フィリピンの物価 其の1

2008年01月19日 | フィリピン
バコロドに昨年開店した某スーパーでは、日本から輸入した日本米が買えます。
あきたこまちなのにコシヒカリという名で販売されているのがなんともこの国のいい加減さを象徴しているようで、笑えます。それともコシヒカリという名は、日本米の代名詞として国際的に認知されているの?

写真にある値段を日本円に換算すると、10kgで2700円くらい?日本であきたこまちがいくらで売られているか覚えてませんが、日本から運搬する手間を考えたら高くはないと思いませんか?
ちなみに地元のお米は10kgで370ペソ出せば、いいお米が買えます。ってことは日本からの輸入米は地元のお米の3倍の値段ってこと。一番安いのは10kgで180ペソであります。これはベトナムあたりからの輸入米だと聞いたことがある。、

このスーパーには、インスタトラーメン、お菓子類、味噌、しょうゆ、キューピーマヨネーズ、そうめん、そば、麺つゆなど日本の食べ物がかなり売られているので、ここで売られているものはわざわざ日本でまとめ買いしないでもいいかも。
値段も日本で買うよりちょっと高いくらいだと思います。

フィリピンで5年を過ごした本当の理由

2008年01月18日 | フィリピン
簡単に言ってしまえば、フィリピンにいたほうが楽だったからです。温暖な気候や先進国より安い物価、英語がわかればそれほど不自由しない、人々はフレンドリー。

しかしそれは表面的な理由で、裏の理由は、日本では考えられないようなうまい話に乗せられて自分を失った結果大損をし、その損を取り返そうと欲をかき、損の上塗りを繰り返し続けて5年が過ぎてしまったのです。

その惨事に見舞われている最中は「今度こそ、一発大逆転の機会がやってきた!」と思っていました。欲に取り付かれていたため、状況を正確に自覚できなかったのです。そういう意味ではB級映画的な出来事が次から次へと起こったので退屈しなかったのかもしれません。映画のタイトルをつけるとしたら迷わず「鴨葱として」にしたいと思います。

石の上にも3年という諺がありますが、フィリピン在住5年、無理に成果を上げるとしたら、自分の奥底に潜む貪欲、愚かさをこれでもかというくらいに知らされたということです。それともう一つ人間に対する考え方にある種の確信をもつようになってしまったこともあげておきます。

今、そろそろこの国の生活に見切りをつけようと思っています。やっぱり鴨葱として生きるのはいやですからね、もっとも、その葱も底をついたので、そうなることもないのですが....

ことしもよろしくおねがいします

2008年01月18日 | フィリピン
こんにちは ことしもよろしくおねがいします。
これといった主旨もないまま、このブログも2年目になりました。

最近、友人から聞いた日本のサイトでフィリピンの日本企業で求人をしていることを知りました。といってもマニラ近郊が多いようですが。せっかく教えてもらったので、マカティにあるコールセンターの求人に応募してみました。でも、5年も仕事をしていなかったので、万一仕事をするようになったらどう思うのでしょう。ちょっと予想がつきません。おまけにマカティって、この国の政府が税金をどんどん投入して、インフラを整えているいわば、先端都市のようなところ?(I have never been there.)ということはミンダナオの人々がもっとこっちに予算をよこせ!っテ抗議する要因の象徴のような所ってこと?

話は変わって、来月ここへ入国してから1年が経つのでまた出国しなければなりません。過去2年は、ボルネオ島とクアラルンプールといずれもマレーシアにいったので、今年はどこか目先を変えてみようかとおもっています。というより、もうフィリピンには戻らないかも、そんなことも念頭においています。

それでは、これを読んでいる皆さん、よいお年をお迎えください。 

happy new year

2008年01月17日 | フィリピン
How are you every one?

こんな果物をリベルダッドのマーケットで見つけました。中はムラサキ色と白がまだらになっているような感じできれいでした。外見がチェリモアに似ていたので、かなり期待して食べました。その味はとても............た。