慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

山内一豊(戦国の出世者2)

2018年03月26日 | 歴史上の人物
山内一豊と高知城

山内一豊は長曾我部の居城浦戸城へ入城した
 ☆鏡川、江ノロ川が氾濫するので、2代藩主忠義は表記を変更する
 (高智山⇒高智⇒高知)
 ☆土佐24万石(秀吉から長宗我部が認められていた土佐の領地高は約10万石)
 (一豊入国時もこの領地高)
 ☆2代藩主忠義は、改めて長宗我部検地帳を元に約20万石高を算出
 (江戸時代の公的な土佐藩の領地高となった)
 (24万石というのは、地検帳の土地面積を1反=1石に置き換えた数字)
 ☆24万石にしては高知城は小さい
追手門(高知城の正門で、本瓦葺きの入母屋造り)
一豊の妻の鋼像
 ☆追手門から少し登ると、名馬のかたわらに立つ一豊の妻・千代の銅像
石樋(石樋が16カ所もある)
 ☆土佐は雨が多いため、雨水が石垣にしみこまないように工夫されたもの
天守と本丸御殿(享保の大火で焼失後再建された)
石落しと忍返し
 ☆石垣をよじ登ってくる敵を防ぐための石落としと
 ☆鉄製の鋭い忍返しが、天守の1階部分に残っている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『戦国と幕末(ハーツ&マイズ)』














山内一豊(戦国の出世者2)(戦国と幕末』記事より画像引用)


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