慶喜

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高御座をイメージした「文武天皇陵」

2020年12月01日 | 皇室
🌸「文武天皇陵」最後の古墳の華麗なる姿

 ☆中尾山古墳(明日香村三段築成の墳丘が確認された)
 *藤原京で政治を行った文武天皇の墓の可能性が高い
 *中尾山古墳は、天皇らの墓域の京の南の丘陵上にある
 *中尾山古墳は、高松塚古墳にも近い
 ☆高御座をイメージした石で華麗に装飾された八角墳

中尾山古墳は3段築成
 ☆墳丘の高さは5m以上、幅は約33m以上
 ☆竜山石製の沓形石造物と呼ばれる特殊な形の石も出土
 *その石は、墳頂部に複数個のせられていたとみられる
 ☆八角墳の天武・持統天皇陵・斉明天皇の墓に比べると質素
 ☆白く輝く姿は、天皇陵の威厳を保っていた
 ☆八角墳は高御座を意識した形
 *高御座は、藤原宮でも政治の中心大極殿に置かれていた
 *高御座は『徳をもって、死後まで政治を行う』思いが込められている

⛳文武天皇
 ☆祖父の天武、祖母の持統両天皇の国造りを受け継ぐ
 *律令国家体制を整備した
 ☆最大の功績は大宝律令の制定
 *官僚機構が整い、中央集権体制が確立した
 ☆子は藤原不比等の娘・宮子との間に生まれた聖武天皇
 ☆文武天皇は、持統天皇に次いで火葬された2人目の天皇

⛳中尾山古墳の被葬者は、文武天皇の可能性が高い
 ☆「聖なるライン」に位置 する中尾山古墳
 *藤原京の中心、藤原宮から南へ4~5キロの丘陵地一帯
 *当時、天皇らの墓域だったと考えられる
 ☆古墳は京(宮)の中軸線を南に延長したライン上に位置する
 *計画的に配置されたという説もある
 *考古学者の間では「聖なるライン」と呼ばれている
 ☆八角墳であることや続日本紀の場所の記述などより
 *中尾山古墳を真の文武陵と考えられる
 ☆「聖なるライン」を北に延ばすと
 *天智天皇陵(京都市山科区)に行き当たるという
                      (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『産経新聞』



 



高御座をイメージした「文武天皇陵」
(『産経新聞』記事、ネットより画像引用)

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