🌸「文武天皇陵」最後の古墳の華麗なる姿
☆中尾山古墳(明日香村三段築成の墳丘が確認された)
*藤原京で政治を行った文武天皇の墓の可能性が高い
*中尾山古墳は、天皇らの墓域の京の南の丘陵上にある
*中尾山古墳は、高松塚古墳にも近い
☆高御座をイメージした石で華麗に装飾された八角墳
⛳中尾山古墳は3段築成
☆墳丘の高さは5m以上、幅は約33m以上
☆竜山石製の沓形石造物と呼ばれる特殊な形の石も出土
*その石は、墳頂部に複数個のせられていたとみられる
☆八角墳の天武・持統天皇陵・斉明天皇の墓に比べると質素
☆白く輝く姿は、天皇陵の威厳を保っていた
☆八角墳は高御座を意識した形
*高御座は、藤原宮でも政治の中心大極殿に置かれていた
*高御座は『徳をもって、死後まで政治を行う』思いが込められている
⛳文武天皇
☆祖父の天武、祖母の持統両天皇の国造りを受け継ぐ
*律令国家体制を整備した
☆最大の功績は大宝律令の制定
*官僚機構が整い、中央集権体制が確立した
☆子は藤原不比等の娘・宮子との間に生まれた聖武天皇
☆文武天皇は、持統天皇に次いで火葬された2人目の天皇
⛳中尾山古墳の被葬者は、文武天皇の可能性が高い
☆「聖なるライン」に位置 する中尾山古墳
*藤原京の中心、藤原宮から南へ4~5キロの丘陵地一帯
*当時、天皇らの墓域だったと考えられる
☆古墳は京(宮)の中軸線を南に延長したライン上に位置する
*計画的に配置されたという説もある
*考古学者の間では「聖なるライン」と呼ばれている
☆八角墳であることや続日本紀の場所の記述などより
*中尾山古墳を真の文武陵と考えられる
☆「聖なるライン」を北に延ばすと
*天智天皇陵(京都市山科区)に行き当たるという
(敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『産経新聞』
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『産経新聞』
高御座をイメージした「文武天皇陵」
(『産経新聞』記事、ネットより画像引用)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます