慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
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将軍吉宗の誕生(近衛熙子)

2017年06月20日 | 歴史
近衛熙子(夫の死後天英院)

江戸幕府6代将軍・徳川家宣の正室
江戸時代、幕府中興の祖とされる徳川吉宗を将軍に擁立した大奥の女性、天英院
将軍家断絶の危機を救い、当時「革命」と呼ばれた将軍吉宗誕生させた女性
世継ぎの出産・育成が目的の大奥にあって、政治を動かし、徳川吉宗を将軍に擁立した立役者
 ☆6代将軍家宣の正室だった天英院
 ☆幼い7代将軍・家継が危篤に陥り、将軍家断絶の危機が迫った時、天英院は吉宗を選択した
天英院が吉宗を指名したことに幕閣や譜代門閥は驚嘆した
 ☆大奥の女性が将軍を指名したことはそれまで例がない
 ☆女性が政治に口出しをすることすら考えられなかった
誰しも難色を示した吉宗の起用
 ☆天英院は「これは先代将軍家宣公の御本心なのです」と次期将軍に吉宗を強く希望した
幕府は、将軍不在という異例の危機を逃れることが出来た
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、NHKBS番組『英雄達の選択』、WIKIPEDIA
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます)














天英院(『英雄達の選択』番組画面引用)

近衛熙子の生涯
徳川綱豊(後の家宣)に嫁ぐ(父は「無念々々」としながらも縁談を承諾)
結婚前に、熙子は近衛家の門葉である権中納言平松時量の養女となって嫁した
 ☆養女縁組は、幕府を侮辱する行為以外の何物でもなかった
夫・綱豊は6代将軍に就任、熙子は御台所として江戸城大奥に入った
夫・家宣は病により没し、熙子も落飾して院号を天英院と号する
息子家継が、5歳で7代将軍に就任
 ☆将軍家継は、病気で危篤状態になり死亡
家継の早世後、紀州藩主の徳川吉宗を8代将軍に迎えるのに尽力した

6代将軍家宣は、お喜世の方(月光院)を側室に迎える
お喜世の方が産んだ家継が将軍宣下を受けた
月光院の腹心であった絵島が大奥の門限に遅れた江島生島事件




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