慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

伊勢神宮道散策(12/6/9)

2012年06月12日 | 観光


古事記、日本書紀に興味あり、伊勢神宮参拝しました

伊勢神宮は、神階が授与されたことのない神宮です、
古代では、宇佐神宮、中世では、石清水八幡宮と共に二所宗廟の一つとされています


内宮


外宮

概要
太陽を神格化した、天照大御神を祀る皇大神宮
 衣食住の守り神である豊受大御神を祀る、豊受大神宮の二つの正宮が存在します、
皇大神宮を内宮、豊受大神宮を外宮と呼びます
皇室の氏神で、皇室・朝廷の権威と強い結びつきがあります


パワースポット(写真に手をかざして下さい?)

歴史

起源
『日本書紀』によると、垂仁天皇の皇女倭姫命が、天照大御神を内宮に祀りました
『古事記』によると、崇神天皇記と垂仁天皇記の分注を伊勢大神の宮を祀りました

古代
皇室の氏神として、天皇以外の奉幣は禁止されていました

中世

皇室の氏神から、日本全体の鎮守として全国の武士から崇敬されたました
神仏習合の教説において、神道側の最高神とされました


お陰横丁

近世
お蔭参りが流行しました
 ○お蔭参りは、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣で、年間数百万人が参拝しました
○江戸から片道15日間、大阪から5日間、名古屋から3日間、東北、九州からも参宮者は歩いて参拝しました
  (キリスト教でのメッカ参拝と有る面で類似しているのかも)
弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛で語られるように、多くの民衆が全国から参拝しました

近代
大日本帝国政府により、全国神社の頂点の神社として位置付けられました
第二次世界大戦以後は、全国神社の本宗と位置づけられ、内宮前に「神宮司庁」があります
佐藤栄作首相、1967年に参拝して以来、現職内閣総理大臣と農水大臣が、
1月4日の仕事始めに、参拝するのが慣例となっています


宇治橋

式年遷宮(定期的に行われる遷宮)です
20年ごとに、内外両宮の正宮の正殿を始めとする、諸神社の正殿を造替し遷宮します
神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定めました
遷宮は、およそ1300年にわたって行われています
2013年来年には、正遷宮(神体の渡御)が予定されています
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二見浦道散策(12/6/9)

2012年06月12日 | 観光
二見浦散策


夫婦岩

概要
二見浦は、日本の渚百選にも選ばれています
二見興玉神社内にある夫婦岩は、全国的に有名ですまた


(二見興玉神社内での御祓い詳細?)


江戸時代描かれた、サンライズ(引用)

二見浦より見る「サンライズ」
江戸時代、二見浦での見る、夏至の「サンライズ(日の出)」は有名です
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長谷寺道散策(12/6/7)

2012年06月12日 | 観光

長谷寺


長谷寺参道

     
長谷寺金堂                 長谷寺舞台

前回参拝時の『舞台』が印象忘れられなく散策しました

長谷寺
概要
*真言宗豊山派総本山の寺
*本尊は十一面観音
*日本でも有数の観音霊場として知られています
*長谷寺の創建は、8世紀前半です
*平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集めたました
*長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺、平安時代中期には興福寺(法相宗)の末寺でしたが、
 16世紀現在の真言宗豊山派を総本山となりました
*「長谷寺」を名乗る寺院は鎌倉の長谷寺をはじめ、日本各地に多く240寺程存在します


銅板法華説相図


本堂への廊下

本堂
*入口の仁王門から本堂までは399段の登廊をのぼります
*本尊を安置する正堂、相の間、礼堂から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく
 懸造(舞台造)になっています
*本尊十一面観音像は1538年に再興(現存・8代目)されました
*銅板法華説相図(国宝)
「千仏多宝仏塔」法華経の見宝塔品で、釈迦が説法時、
地中から宝塔が出現した場面を表現したものです
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