平成20年9月11日(木) 毎日新聞 朝刊 4面 オピニオン欄より
副題:普通の国民目線で見直す時 既成理論にとらわれず
記 :宮川 裕章(東京社会部)
※ この記事の原文は、リンク先で読むことが出来ます。
※ また、この記事の元となった特集は、それぞれ以下のリンク先で読むことが
出来ます。
① 「時効」よ止まれ:「犯人が笑っている」 母無念 娘に報告できない
② 「時効」よ止まれ:壁に挑む捜査当局 「逃げ得」許せない
②’「時効」よ止まれ:殺人の時効「なくすべきだ」が77%…毎日新聞世論調査
③ 「時効」よ止まれ:「遺族には昨日のこと」 DNA鑑定進歩で制度に変化
先日、ポピュリズムの弊害を説く田中氏のコラムを掲載した毎日新聞に、
今度は標記のような副題をつけた記者コラムが掲載され、少々吃驚した。
だが、時効の在り方については、様々な議論がネットでも為されている
ことは間違いない。
実際、DNA鑑定技術の進歩等によって、現在の刑事訴訟法が制定された
昭和23年当時とは、犯罪の立証に関する状況は、大きく変化した。
元々、時効を妥当とする考えの一つに、証拠の散逸による立証の困難性が
挙げられていたのだから、いわば時効の根幹となる屋台骨の一つが崩れて
しまったも同様の事態が生じている、という訳だ。
その他の理由としては、経年変化による応報感情の磨耗等が挙げられて
いるが、犯罪の内容そのものはともかくとして、制定当時は思い出を
振り返る便としては、写真や記憶程度しかなかったものが、今では
映像その他のメディアの発達も相まって、殺人事件の場合等では遺族の
そうした感情が摩滅するどころか、日々傷口をえぐられるようなことも
起こり得るようになっている。
#余談だが、転職する前の会社にいた頃。
社内掲示板に、先輩が投稿していた。
会社をよい方向に持っていこうとする、とても前向きな提言だった。
その先輩が、ガンで亡くなった。
葬儀では、遺族の姿を直視できなかった。
数ヵ月後、ふと思い立って、その掲示板を開けてみると、そこには
先輩の言葉がそのまま残っていた。
あの掲示板は、まだ残っているのだろうか…。
勿論、時効には刑事と民事があり、かつ刑事の中でも犯罪の性質、軽重等
様々な内容がある。
そのことをきちんを踏まえた上で、対象を特定し、その刑罰に対する
時効を失くすなり、延伸するなりの対応が必要だ。
このことに対して、異論は無い。
だが、このコラムの気になる点は、最後の記者による総括部分にある。
記者は、複数の専門家からの意見として、時効の長短や存否は国民が
判断すべきだ、というものを紹介している。
広い意味で、その意見は間違ってはいない。
だが、自分で感傷めいた文を挿話しておいて何だが、感覚論のみで
語ることが出来る話でないこともまた、事実である。
記者のいう「既成の理論や学説にとらわれない、普通の国民の普通の
感覚で制度を見直すことが、一番良い道につながると思う。」という
意見は、一歩間違えればそれこそポピュリズムへつながってしまう。
迂遠なようでも、きちんとした議論と手順に基づいた法改正をもって
見直していく、という当たり前のことを、当たり前に取り組んでいく
ことこそが、何より大事なのだ、と僕は考える。
宮川記者の書く記事が、少々感情過多に偏っているように見えたがため、
やや辛口の書き方となったが、それでも所謂識者ではなく、記者の目線
からこうした提言をきちんと掲載していく毎日新聞のスタンスは、
とても評価したい。
付記
この稿を起こすにあたり、以下のページを参考にした。
衆議院議員早川忠孝の一念発起・日々新たなり
~殺人事件の時効について~
HATENA::QUESTION
~刑事時効の根拠~
副題:普通の国民目線で見直す時 既成理論にとらわれず
記 :宮川 裕章(東京社会部)
※ この記事の原文は、リンク先で読むことが出来ます。
※ また、この記事の元となった特集は、それぞれ以下のリンク先で読むことが
出来ます。
① 「時効」よ止まれ:「犯人が笑っている」 母無念 娘に報告できない
② 「時効」よ止まれ:壁に挑む捜査当局 「逃げ得」許せない
②’「時効」よ止まれ:殺人の時効「なくすべきだ」が77%…毎日新聞世論調査
③ 「時効」よ止まれ:「遺族には昨日のこと」 DNA鑑定進歩で制度に変化
先日、ポピュリズムの弊害を説く田中氏のコラムを掲載した毎日新聞に、
今度は標記のような副題をつけた記者コラムが掲載され、少々吃驚した。
だが、時効の在り方については、様々な議論がネットでも為されている
ことは間違いない。
実際、DNA鑑定技術の進歩等によって、現在の刑事訴訟法が制定された
昭和23年当時とは、犯罪の立証に関する状況は、大きく変化した。
元々、時効を妥当とする考えの一つに、証拠の散逸による立証の困難性が
挙げられていたのだから、いわば時効の根幹となる屋台骨の一つが崩れて
しまったも同様の事態が生じている、という訳だ。
その他の理由としては、経年変化による応報感情の磨耗等が挙げられて
いるが、犯罪の内容そのものはともかくとして、制定当時は思い出を
振り返る便としては、写真や記憶程度しかなかったものが、今では
映像その他のメディアの発達も相まって、殺人事件の場合等では遺族の
そうした感情が摩滅するどころか、日々傷口をえぐられるようなことも
起こり得るようになっている。
#余談だが、転職する前の会社にいた頃。
社内掲示板に、先輩が投稿していた。
会社をよい方向に持っていこうとする、とても前向きな提言だった。
その先輩が、ガンで亡くなった。
葬儀では、遺族の姿を直視できなかった。
数ヵ月後、ふと思い立って、その掲示板を開けてみると、そこには
先輩の言葉がそのまま残っていた。
あの掲示板は、まだ残っているのだろうか…。
勿論、時効には刑事と民事があり、かつ刑事の中でも犯罪の性質、軽重等
様々な内容がある。
そのことをきちんを踏まえた上で、対象を特定し、その刑罰に対する
時効を失くすなり、延伸するなりの対応が必要だ。
このことに対して、異論は無い。
だが、このコラムの気になる点は、最後の記者による総括部分にある。
記者は、複数の専門家からの意見として、時効の長短や存否は国民が
判断すべきだ、というものを紹介している。
広い意味で、その意見は間違ってはいない。
だが、自分で感傷めいた文を挿話しておいて何だが、感覚論のみで
語ることが出来る話でないこともまた、事実である。
記者のいう「既成の理論や学説にとらわれない、普通の国民の普通の
感覚で制度を見直すことが、一番良い道につながると思う。」という
意見は、一歩間違えればそれこそポピュリズムへつながってしまう。
迂遠なようでも、きちんとした議論と手順に基づいた法改正をもって
見直していく、という当たり前のことを、当たり前に取り組んでいく
ことこそが、何より大事なのだ、と僕は考える。
宮川記者の書く記事が、少々感情過多に偏っているように見えたがため、
やや辛口の書き方となったが、それでも所謂識者ではなく、記者の目線
からこうした提言をきちんと掲載していく毎日新聞のスタンスは、
とても評価したい。
付記
この稿を起こすにあたり、以下のページを参考にした。
衆議院議員早川忠孝の一念発起・日々新たなり
~殺人事件の時効について~
HATENA::QUESTION
~刑事時効の根拠~