活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

三枝の楽屋へいらっしゃ~い!

2009-02-05 01:36:14 | 活字の海(新聞記事編)
毎日新聞 1月31日(土)夕刊 9面 文化・芸能欄より
サブタイトル:愛される理由 旭山動物園で学ぶ


標題の、桂三枝のエッセイを読んだ。

そこには、大阪で繁盛亭という上方落語の定席を数十年ぶりに復活
させた責任者として、今の盛況を如何に維持発展していくか?という
命題のヒントを求めて、旭山動物園に行ったときのことが記されていた。

旭山動物園といえば、動物の行動展示をキーワードにして、今はもう
詳しい説明も不要なくらい、すっかりメジャーになってしまった。

北海道の中でも最北にある小さな動物園が、動物園の中ではあの上野
動物園をも越えて、日本一の入場者数を誇っている。

以下は、少し古い資料だが、2005年における日本のレジャーランド
等の入場者数ランキング
である。



動物園における、この年度トップは上野だが、2008年において
上野がやや入場者数を落としたとはいえ、2005年の200万人
レベルから僅か3年で300万人を越える集客力を身につけたという
ことは、絶賛に値しよう。


それは、素晴らしいことなのだが、では何がそこまで人々を魅了する
のか?という疑問が当然出てくる。

三枝としては、それを解明することで、繁盛亭の発展に寄与したい、
という思いがあった訳である。


オフィシャルなスケジュールの間隙をついた強行軍もものともせず、
三枝が現地に赴いて得た教訓とは…。

適度な距離感と、手作り感。

この二つに尽きるという。

両者は不可分なもので、この二つが揃って初めて、この園は老若男女
を問わず魅力を感じてもらえるような空間を提供できるのだ、と
見切ったとのことである。


人の心を惹きつける要素は、まだまだ他にもあるだろう。

例えば、今回提示された要素とおよそ対極にある存在が、
東京ディズニーランドである。
#全く余談だが、上野顕太郎が「帽子男は眠れない」にて生み出した
 「東京ネズミーランド」という言葉。大好きである(笑)。

そこには手作り感などは一切無い。
むしろ、日常を感じさせるものは徹底的に排除されている。
アルコールを禁止しているのも、ランドが酔わせたいのは酒ではなく、
あくまでランドが提供しているもてなしに酔わせたい訳だから、
そのメッセージが素直に届きにくくなる=意識の混濁やブレを
もたらしかねないアルコールを禁止しているということだと、
僕は理解している。

有名な塵一つ無い園内情景を実現するスィーパーをはじめとする、
スタッフの動作や表情までも含めたサービス精神の徹底さと、それと
同レベルの日常感の排斥は、観客を容易に別の世界へと引き込む。

それにより、観客は一時の夢を見ることが出来る。

例え、門を一歩出れば、また日常が待っていようとも、この敷地の中
にいる限りは、ランドの醸し出す夢に酔っていることが出来る。


それをもたらすものは、旭山動物園を形作る二つの要素とはおよそ
相容れない、非日常感というキーワードだ。


無論、どちらが正解というものではなく、対象の規模や目標によって
取捨選択されるべきなのだろう。

上記以外にも、選択肢は他にも有るのかもしれない。

ただ、両者に共通しているのは、その徹底度合いだろう。

売り上げの伸び悩みを、立地条件や施設の老朽化等に解を求める
レジャー設備は多いだろう。

だが、そこに足りないものは、実は一つのテーマにとことん徹底
するというスタイルと努力であり、裏を返せば工夫次第でいくらでも
感動を生み出すことが出来る。

最北の地にある市営動物園が、それを体現している。

かなり僕なりの意訳も入ったが、概ねこのようにエッセイは締め
括られている。

正にそのとおりであり、その事実は広く様々なものに援用できる
ことなのだ、と思う。

自己を振り返ったとき。
何かを失敗した際に、安易に目前の問題に責任を擦り付けて、口を
ぬぐっていないか?
本当に、可能な限りの手立てを尽くしているのか?
その解を得るために、今回の三枝のように様々な事物に学ぶ努力を
しているのか?

自問させられるエッセイとなった。

(この稿、了)


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