活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

なにわ人模様 シネマセラピスト 瀬川菜月さん

2010-02-09 23:59:21 | 活字の海(新聞記事編)
記:平川雅恵(毎日新聞記者) 
2010年2月9日(火)毎日新聞朝刊24面 大阪欄より
コラムタイトル:なにわ人模様
取り上げられた人:瀬川菜月(シネマセラピスト)
サブタイトル:癒やし 潜在意識を開放
       気になる登場人物に集中
       鑑賞後、心理テストで分析


最近。
ある悩みを、抱えている。

端的にそれを言えば。

思い通りに、自分をコントロール出来ないということである。

ここしばらく。
仕事上で。
立て続けに、人と面談をする機会があった。

その人と対話をし、一年間の振り返りをする。

基本は、傾聴。

まずは、相手の話をきちんと聞いて。
相手が、自身をどう分析しているのかを把握する。

その上で。

褒めるべきところは、積極的に賞賛し。
改善すべきところは、相手が見直すサポートをしていく。


そう。
頭では、判っているのだ。

それでも。
実際に、面談の場となると…。

どうしても。
先に、こちらの口が出てしまう。

もっと。
こういう対応をして欲しい。
こういう風に考えて欲しい。

そうした積み重なった日々の思いが、噴出するかのように。

こちらが語る比率が、増大していく。

気がつく都度、ブレーキを踏んで。
少しでも話してもらおうとはするのだけれど…。

かくして。
終了後は。

相手は、一方的に上から押し込められた過度の期待や責任の重圧に
プレッシャーと不満を感じながら、その場を去っていく。

僕はと言えば。
言いたいことを言い放ってしまった、ごく狭い満足感と。
こんなはずではなかった、と言うほろ苦い後悔の念を抱き続けること
となるのだ。


なかなか。
「ビッグツリー」で佐々木常夫さんが語っていたような、部下から
「毎年の面談が楽しみでした!」と言われるような境地には、
程遠い、のである。


それでも。
そうした反省に満ちた面談を行う中でも。

それなりに、感じることはある。

その中で、もっとも大きなものが。
お互いの立場や個性によって、物事の捉え方は実に様々だというもの。

おこがましい表現になるが。

一つフィールドを上がった視線で見れば、当たり前のことが。
なかなかに、理解して貰えない。

例えば、オーダーを出すにしても。

出し側としては。
当然ながら、10の工程の全体像を把握している。
その上で、いきなり10はきつかろうと、2~4位までの工程までの
作業を依頼する。

ところが、受け手側は。

上から降ってきたオーダーを、まずは咀嚼することで精一杯。
目端の利く人は、当然こちらと同じ10のゴールまでも見据えた理解を
してくれるが。

大半は、2~4をゴールと考えてしまう。
その結果、出てきたものは。
2~4にも及ばないレベルのOUTPUTでしかない。

かくして。
オーダーの出し側としては、自分の思いとかけ離れた資料を見て。
受領側としては、ダメ出しをされ、醜く赤入れされた資料を見て。

お互いに、嘆息を繰り返すのだ。


当然ながら。
これには、双方に問題がある。

当たり前の話なのだが、お互い全く別個の人間である。
考え方も、理解度も、情報量も。
どれ一つをとっても、同じものなんて有り得ない。

そこを、突き詰めずに表層だけをなぞるようなコミュニケーションをして
いるうちは。

この双方の嘆息が、無くなることは有り得ないだろう。

では、どうすればよいのか。
答えは、簡単。

相手の立場になって、考えればよいだけである。

でも、そもそも人間は。
自分のことだってよく理解できない生き物なのである。

それが。
相手の身になった発想なぞ、そも出来るものなのだろうか。


この、簡単だが、実に難しい取り組みを実践するための一つの手法が、
シネマセラピー。

その名のとおり、映画を使った心理療法である。

映画を観ることで、その中で繰り広げられる仮想現実を追体験する。
更に、その体験を自分なりにどう捉えたかを紐解いていくことによって。

「自身の心の動きを分析し、潜在意識を浮き彫りにしていく。」

なるほど。
と、思う。

自分自身だけを掘り下げ内省していく手法では、自我の壁が邪魔して
なかなかに潜在意識にまで辿り着かないかもしれないが。

映画を触媒にすることによって、その中の人物に事故を投影することで
より自己分析を容易にしていくということか。

誰しも。
小説を読んだり、映画を観て。
自分ならこうするのに!とか。
自分も、こういう風に出来ればよいのに!と思ったことはあるだろう。

その思いを、心理学的にきちんと解析することで。

自分にとって、不足しているものは何なのか。

あるいは。
自分が不満に感じている、真の原因は何なのか。

そうしたことが、見えてくるのだろう。

これを、自分に当てはめればどういったことが出来るだろう?

1) 自分自身が、シネマセラピーを受けて自己理解を深める
2) 研修等にこのセラピーを取り入れて、自己理解を深めさせる
3) 何かを触媒にして、他者の理解を深めていく手法を業務に取り込む
 
と言ったところだろうか。

百聞は一見に如かず。
まずは、1)を実践してみたい。
そう思っていたら。

瀬川菜月さんのHPで、シネマセラピー付の映画の試写会の告知を発見

おお!と思って申し込もうとしたが、女性ブロガー限定ということで、
敢え無く門前払いとなってしまった。

まあ。
又の機会もあるだろう。

最後に。
瀬川氏の言葉を紹介して、今日のブログを締め括ろう。

「自分も他者も、あるがままで需要することこそが心の癒やしにつながり、
 人間関係を円滑に運ぶ。
 家庭や地域へと笑顔の輪が広がってほしい。」

うん。
いい言葉だ。

これを、職場へも広げていきたいものだ、と思う。

(この稿、了)





心を癒すシネマセラピー―映画が教えてくれる生き方のヒント
近藤 裕
海拓舎

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