毎日新聞 11月27日(火)夕刊 7面 文化 批評と表現(ダブルクリック)より
定番と化してきた、芹沢氏のコラムへのレビュー。
今回は、ジャーナリスト 藤井誠二氏との対談を踏まえて。
山口・光市母子殺人事件等の少年犯罪を中心にした犯罪被害者の運動に関わる藤井氏と、
昨今の犯罪傾向が決して巷間叫ばれる程に増加のトレンドではなく、凶悪化もしていないが故に、
スケープゴートのような厳罰主義に反対の立場をとる芹沢氏との対談は、
自ずから交わることの無い平行線のような様相であったようだ。
意見の合致したポイントもあったようであるが、とどのつまり、
犯罪を起こさせないために社会状態を築き上げ、練り上げて箍を嵌める必要があるとする藤井氏と、
(極論を言えば)自然状態でも人は社会的行動をとり得るとする芹沢氏との対談が、
平穏に終わる訳も無い。
最終的には(今回のコラムを読む限りでは)、議論は平行線のまま終わった模様である。
今回の対談に対する芹沢氏の総括が、分かりやすい。
それによれば、両者のスタンスの違いを、
藤井氏:犯罪被害の発生0を目指したい
⇒地域ぐるみで過剰防犯となっても、ある面仕方が無い
芹沢氏:必要以上の防犯意識は、異質者排除等の社会の均質化を招く
⇒リスクを前面に押し出しすぎると、社会に潤いが無くなる
としている。
これを踏まえて芹沢氏は、犯罪は元より、食品、交通、その他、
あらゆるリスクを0にすることなど出来る訳も無い。
大事なことは、そうしたリスクとどこで折り合いをつけていくかだ。
そこの目利きが出来ないと、ポピュリズムに飲み込まれるような、
不安定な社会にも繋がりかねないとして、コラムを締めくくっている。
元より、日本人とは(という乱暴な括りで国民性を総括するリスクもあるが)、
熱しやすく醒めやすい、諦めが早く水に流す(これは、台風の進路に国土が有る
ことに起因する、という説を昔どこかで読んだことがある)と言われる
気風を考えると、ポピュリズムに比較的嵌りやすい国民性を持つと言える
のかもしれない。
#普段、Jリーグには見向きもしないが、ワールドカップが開催されると
いそいそと仕事を早めに手仕舞いしてTVで応援してしまう自分を見ても、
そう思う…。
なんでも除菌、消臭してしまわないと気が済まないような風潮は、
消費者の購買意欲を煽ろうとするメーカーの販促活動とも相俟って、
ファブリーズ等の一大市場を築き上げた。
#ちなみにファブリーズは全世界でも売れている。
発売元のP&Gの発表によると、2003年度には、ファブリーズ関連売り上げは
126億ドルに達し、同社の主軸商品となっているとのことである。
だが、行き過ぎた除菌消臭願望の行き着く先は、一体何なのか?
人の肌に存在する菌の実態を知っていれば、ファブリーズによる除菌を求める人々の
姿は何と馬鹿馬鹿しいファルスであることか。
度を越えたリスク管理意識は、正にこれと同じくファルスとなると、
芹沢氏は主張しており、これには全く同意見である。
ただ、だからといって、厳罰主義も必要無いという芹沢氏の見解には
素直に同意しかねる。
何を持って犯罪の抑止力となるかについて僕は、目には目を、歯には歯を、
つまり同害復讐の概念こそがふさわしいと考えている。
すなわち、人に害をもたらすものは、自ら同じ害を蒙るべきなのだ。
その意味では、僕の見解は藤井氏と近似値である。
そうした抑止力が働くからこそ、リスクに対してもある程度鷹揚に構えて
いられるのようになるのではないか、と思うのだ。
そこまで考えた時、以前このブログでも取り上げた日野原さんの主張は、
自分は遠く相容れられないのだろうな、と改めて思う。
その事実は、少し悲しく痛みを伴うものではあるが、
僕に取っては選択の余地は、少なくとも今は、無い。
定番と化してきた、芹沢氏のコラムへのレビュー。
今回は、ジャーナリスト 藤井誠二氏との対談を踏まえて。
山口・光市母子殺人事件等の少年犯罪を中心にした犯罪被害者の運動に関わる藤井氏と、
昨今の犯罪傾向が決して巷間叫ばれる程に増加のトレンドではなく、凶悪化もしていないが故に、
スケープゴートのような厳罰主義に反対の立場をとる芹沢氏との対談は、
自ずから交わることの無い平行線のような様相であったようだ。
意見の合致したポイントもあったようであるが、とどのつまり、
犯罪を起こさせないために社会状態を築き上げ、練り上げて箍を嵌める必要があるとする藤井氏と、
(極論を言えば)自然状態でも人は社会的行動をとり得るとする芹沢氏との対談が、
平穏に終わる訳も無い。
最終的には(今回のコラムを読む限りでは)、議論は平行線のまま終わった模様である。
今回の対談に対する芹沢氏の総括が、分かりやすい。
それによれば、両者のスタンスの違いを、
藤井氏:犯罪被害の発生0を目指したい
⇒地域ぐるみで過剰防犯となっても、ある面仕方が無い
芹沢氏:必要以上の防犯意識は、異質者排除等の社会の均質化を招く
⇒リスクを前面に押し出しすぎると、社会に潤いが無くなる
としている。
これを踏まえて芹沢氏は、犯罪は元より、食品、交通、その他、
あらゆるリスクを0にすることなど出来る訳も無い。
大事なことは、そうしたリスクとどこで折り合いをつけていくかだ。
そこの目利きが出来ないと、ポピュリズムに飲み込まれるような、
不安定な社会にも繋がりかねないとして、コラムを締めくくっている。
元より、日本人とは(という乱暴な括りで国民性を総括するリスクもあるが)、
熱しやすく醒めやすい、諦めが早く水に流す(これは、台風の進路に国土が有る
ことに起因する、という説を昔どこかで読んだことがある)と言われる
気風を考えると、ポピュリズムに比較的嵌りやすい国民性を持つと言える
のかもしれない。
#普段、Jリーグには見向きもしないが、ワールドカップが開催されると
いそいそと仕事を早めに手仕舞いしてTVで応援してしまう自分を見ても、
そう思う…。
なんでも除菌、消臭してしまわないと気が済まないような風潮は、
消費者の購買意欲を煽ろうとするメーカーの販促活動とも相俟って、
ファブリーズ等の一大市場を築き上げた。
#ちなみにファブリーズは全世界でも売れている。
発売元のP&Gの発表によると、2003年度には、ファブリーズ関連売り上げは
126億ドルに達し、同社の主軸商品となっているとのことである。
だが、行き過ぎた除菌消臭願望の行き着く先は、一体何なのか?
人の肌に存在する菌の実態を知っていれば、ファブリーズによる除菌を求める人々の
姿は何と馬鹿馬鹿しいファルスであることか。
度を越えたリスク管理意識は、正にこれと同じくファルスとなると、
芹沢氏は主張しており、これには全く同意見である。
ただ、だからといって、厳罰主義も必要無いという芹沢氏の見解には
素直に同意しかねる。
何を持って犯罪の抑止力となるかについて僕は、目には目を、歯には歯を、
つまり同害復讐の概念こそがふさわしいと考えている。
すなわち、人に害をもたらすものは、自ら同じ害を蒙るべきなのだ。
その意味では、僕の見解は藤井氏と近似値である。
そうした抑止力が働くからこそ、リスクに対してもある程度鷹揚に構えて
いられるのようになるのではないか、と思うのだ。
そこまで考えた時、以前このブログでも取り上げた日野原さんの主張は、
自分は遠く相容れられないのだろうな、と改めて思う。
その事実は、少し悲しく痛みを伴うものではあるが、
僕に取っては選択の余地は、少なくとも今は、無い。