毎日新聞 2月6日 夕刊 7面 ニュース 芸能より 記:梅津時比古(専門編集委員)
ガラスCDの音を聞いたことの有る人はいるだろうか?
僕は不見識にして無いが、通常のCDがアナログレコードと比べ、手軽さという
利点を得た代償に、音の厚みや艶っぽさという要素を失ってしまった、とする
ことに対する、究極のカウンターになり得る音だそうだ。
このコラムでも、ガラスCDにてカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニーの
ベートーベン「交響曲第9番<合唱>」を聞いた筆者は、その音のあまりの臨場感に
圧倒される!
なにせ、4段組のコラムのうち、2段半を使って、このガラスCDによる音が
どれだけ素晴らしいかを切々と説いてくれるのだ。
こちらとしては、是が非でもその音を聞いてみたい、という気になるではないか!
僕は、何を隠そうLPレコード世代である。
レンタルレコード全盛の頃に青春時代を過ごした身としては、レコードで音楽を
聴くことは、確かに一つのセレモニーだった。
ジャケットを開ける。
通常は、袋状になったジャケットの中には、薄いナイロンに包まれたレコード盤と
解説が入っていた。
少し高級なものになると、ジャケットが左右に見開きのものもあったが。
ナイロンの袋からレコードを取り出す。
指紋をつけないよう、最新の注意を払って。
A面とB面を間違えないよう、慎重にカバーを開けたプレーヤーのターンテーブル
上に乗せる。
静電気除去と埃取り用のクリーナーを吹きかけ、丁寧に盤上の埃を集め、ふき取る。
(クリーナーは、かけ過ぎても逆効果なので注意が必要だ)
ここで手を抜くと、再生時にブツブツという無粋な音がテープに同時に録音される
ことになるため、作業は慎重を極める。
きれいになったことを確認したら、最後に針カバーを外し、針をこれまた専用の
クリーナーで掃除する。
万全の準備が整ったら、カセットデッキをスタンバイする。
冒頭のクリーニングテープ部分を進めておくのは当然だが、あまり先頭の方も
磁性体の塗り斑等がある恐れもあり、かつ何度か使用したテープだと、一時停止
の影響でキャピスタンに押し付けられてテープが変形している恐れもあるから、
少しだけカラ送りすることも、忘れてはならない手順である。
#かといって進めすぎて、後ほんの数秒というところでテープが終わってしまう
悲劇を味わうこともある。
最後に、アンプも十分ウォームアップしていることや、接続が全てOKとなって
いること、アンプのレコードプレーヤーの種別が異なるモードになったりして
いないか等、最終確認を行う。
全てがOKとなれば、いよいよ音楽の再生~録音の開始である。
ゆっくりと、プレーヤーの再生ボタンを押す。
サーボが効き、回転が安定したら、自動でアームが動き、レコードの最外縁部で
ゆっくりと加工する。
最初のプチッ音を録音しないように、かつ音の最初の出だしを録り逃さないように、
カセットデッキの一時停止解除のタイミングは一瞬の勝負だ。
会心のタイミングで全てが流れたとき、満足感に浸りながら、スピーカーから
流れ出る音楽にようやく身を委ねる余裕が出来る。
が、演奏中も、気は抜けない。
万一、ものを落としたりしたら、音飛びする可能性はあるのだから。
こうして、しち面倒くさい中にも緊張感があったレコード時代の音楽鑑賞は、
正しくセレモニーと言えるものであった。
翻って、今の音楽鑑賞はどうであろう?
CDをパソコンのトレイに入れ、ソフトを起動する。
コマンド操作だけでコンバートが行われ、mp3ファイルが作成される。
後は、それをメモリプレーヤー(ちなみに僕はSONYのWALKMAN派である。
単に景品で当たったからではあるが)に転送し、後は煮るなり焼くなり好きに
し放題。
だが、そこにはmp3化によりカットされた周波数以上に、何か大きなものが
欠落してしまった感がある。
便利なのだ。お手軽なのだ。その恩恵を蒙っている身としては、開発した技術者に
感謝こそすれ、恨みがましいことなど言う気もさらさら無い。
にも関わらず、感じてしまう喪失感は、なぜなのだろう?
そうした時世にあって、新たに開発されたこのガラスCD。
通常のCDであれば、2~4秒で1枚プレス出来るらしいが、ガラスCDに関しては
専用のプレス機が必要で、かつ1日に15枚程度しか焼けないそうである。
そこにかかる手間を考えるとき、実際に通常のCDよりも拡幅された収録周波数
帯域以上の何か豊穣な何かがそこに感じられるのではないだろうか?
このコラムの著者も、標題にクザーヌスを引用して、同種の感想を述べている。
クザーヌスは中世期の神学者であり宗教家である。
彼は、物事を見る際に、人は何の先入観も持たず観ることは出来ない。
必ずそこに何らかのフィルターを通してしまう、としている。
そんなフィルター(この場合は、これだけ手間隙かけて作られたガラスCDの
音が、通常のCDと同じ筈は無い!という先入観の目かな)が、ガラスCDの
音のよさの案外真相なのかもしれない、と著者はコラムを締めくくる。
そういわれると、1枚20万円のガラスCDの立場が無いとは思うが、
えてしてそうした側面も持っていることは間違いなかろう。
とはいえ、一度は聴いてみたいなあ。
ガラスCDの音を聞いたことの有る人はいるだろうか?
僕は不見識にして無いが、通常のCDがアナログレコードと比べ、手軽さという
利点を得た代償に、音の厚みや艶っぽさという要素を失ってしまった、とする
ことに対する、究極のカウンターになり得る音だそうだ。
このコラムでも、ガラスCDにてカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニーの
ベートーベン「交響曲第9番<合唱>」を聞いた筆者は、その音のあまりの臨場感に
圧倒される!
なにせ、4段組のコラムのうち、2段半を使って、このガラスCDによる音が
どれだけ素晴らしいかを切々と説いてくれるのだ。
こちらとしては、是が非でもその音を聞いてみたい、という気になるではないか!
僕は、何を隠そうLPレコード世代である。
レンタルレコード全盛の頃に青春時代を過ごした身としては、レコードで音楽を
聴くことは、確かに一つのセレモニーだった。
ジャケットを開ける。
通常は、袋状になったジャケットの中には、薄いナイロンに包まれたレコード盤と
解説が入っていた。
少し高級なものになると、ジャケットが左右に見開きのものもあったが。
ナイロンの袋からレコードを取り出す。
指紋をつけないよう、最新の注意を払って。
A面とB面を間違えないよう、慎重にカバーを開けたプレーヤーのターンテーブル
上に乗せる。
静電気除去と埃取り用のクリーナーを吹きかけ、丁寧に盤上の埃を集め、ふき取る。
(クリーナーは、かけ過ぎても逆効果なので注意が必要だ)
ここで手を抜くと、再生時にブツブツという無粋な音がテープに同時に録音される
ことになるため、作業は慎重を極める。
きれいになったことを確認したら、最後に針カバーを外し、針をこれまた専用の
クリーナーで掃除する。
万全の準備が整ったら、カセットデッキをスタンバイする。
冒頭のクリーニングテープ部分を進めておくのは当然だが、あまり先頭の方も
磁性体の塗り斑等がある恐れもあり、かつ何度か使用したテープだと、一時停止
の影響でキャピスタンに押し付けられてテープが変形している恐れもあるから、
少しだけカラ送りすることも、忘れてはならない手順である。
#かといって進めすぎて、後ほんの数秒というところでテープが終わってしまう
悲劇を味わうこともある。
最後に、アンプも十分ウォームアップしていることや、接続が全てOKとなって
いること、アンプのレコードプレーヤーの種別が異なるモードになったりして
いないか等、最終確認を行う。
全てがOKとなれば、いよいよ音楽の再生~録音の開始である。
ゆっくりと、プレーヤーの再生ボタンを押す。
サーボが効き、回転が安定したら、自動でアームが動き、レコードの最外縁部で
ゆっくりと加工する。
最初のプチッ音を録音しないように、かつ音の最初の出だしを録り逃さないように、
カセットデッキの一時停止解除のタイミングは一瞬の勝負だ。
会心のタイミングで全てが流れたとき、満足感に浸りながら、スピーカーから
流れ出る音楽にようやく身を委ねる余裕が出来る。
が、演奏中も、気は抜けない。
万一、ものを落としたりしたら、音飛びする可能性はあるのだから。
こうして、しち面倒くさい中にも緊張感があったレコード時代の音楽鑑賞は、
正しくセレモニーと言えるものであった。
翻って、今の音楽鑑賞はどうであろう?
CDをパソコンのトレイに入れ、ソフトを起動する。
コマンド操作だけでコンバートが行われ、mp3ファイルが作成される。
後は、それをメモリプレーヤー(ちなみに僕はSONYのWALKMAN派である。
単に景品で当たったからではあるが)に転送し、後は煮るなり焼くなり好きに
し放題。
だが、そこにはmp3化によりカットされた周波数以上に、何か大きなものが
欠落してしまった感がある。
便利なのだ。お手軽なのだ。その恩恵を蒙っている身としては、開発した技術者に
感謝こそすれ、恨みがましいことなど言う気もさらさら無い。
にも関わらず、感じてしまう喪失感は、なぜなのだろう?
そうした時世にあって、新たに開発されたこのガラスCD。
通常のCDであれば、2~4秒で1枚プレス出来るらしいが、ガラスCDに関しては
専用のプレス機が必要で、かつ1日に15枚程度しか焼けないそうである。
そこにかかる手間を考えるとき、実際に通常のCDよりも拡幅された収録周波数
帯域以上の何か豊穣な何かがそこに感じられるのではないだろうか?
このコラムの著者も、標題にクザーヌスを引用して、同種の感想を述べている。
クザーヌスは中世期の神学者であり宗教家である。
彼は、物事を見る際に、人は何の先入観も持たず観ることは出来ない。
必ずそこに何らかのフィルターを通してしまう、としている。
そんなフィルター(この場合は、これだけ手間隙かけて作られたガラスCDの
音が、通常のCDと同じ筈は無い!という先入観の目かな)が、ガラスCDの
音のよさの案外真相なのかもしれない、と著者はコラムを締めくくる。
そういわれると、1枚20万円のガラスCDの立場が無いとは思うが、
えてしてそうした側面も持っていることは間違いなかろう。
とはいえ、一度は聴いてみたいなあ。
そこまで細心の注意は払ってなかったけど、ある種の緊張感はありましたね。
いま残ってるテープを聴くと、意外といい音だったりします。
大学前のレンタル屋さんにはお世話になりました。
感謝。
一度、レンタルLPをプレーヤーに乗せて、さあ聴くぞ!というときにアームに手がぶつかってしまい、針はLPの上をガリリっとy=4x~2位の放物線を描いて傷を残してくれたことがありました。
借りたレンタル屋さんが大手ではなく、個人経営だったために保険とかに入っていることも無く、泣く泣く同じものを購入して弁償する羽目になりました(まだ自室のレコード棚に入っていた筈…)。
そんな想い出も、今は昔です。
ちなみに、バイク通学していた僕は、大学傍のレンタルレコードで借りる都度、持ち帰るのに四苦八苦していた記憶があります