agora 2009年2月号より 文:長谷川 満
先日、夢を見ることについて書いた。
そして今日、夢について書かれたコラムを読んだ。
その、読者に勇気をもたらしてくれた内容に。
そして何より。
今日もまた、興味を持つことのできる新たな文章との出会いに、感謝を。
今回の主人公は、菊田 浩氏。
イタリアはクレモナ在住のバイオリン製作者である。
クレモナという地名について、皆さんはご存知だろうか?
寡聞にして、僕はこのコラムを読むまでは、知らなかったが、
あのストラディバリウスの出生地と聞けば、そこがバイオリンの
生産拠点として今も高名であることに異論のあろう余地も無い。
その地で、バイオリンを作り続け、名だたる国際コンクールの賞を取り、
その名を知られる存在となれば…。
さぞかし、若い頃からバイオリン製作一筋に努力を積み重ねて
こられた方と思えるが、しかし。
彼がバイオリンの製法について、きちんと体系的に勉強を始めたのは、
なんと40歳になってからだ、と言う。
それまでの人生でも、独学で5年ほど製作に勤しむ期間はあったものの、
元々はNHKの音響ミキサー。
楽器製作とは、何の縁も無い職場である。
唯一の共通点は、耳の良さが貢献するところ位だろう。
そんな彼が、なぜ安定した仕事を捨ててまで、バイオリンに打ち込む
ことになったのか…。
その本質的な答えは、彼自身の中にしか無いだろう。
だが、これだけは想像できる。
彼が、社会人になった当初からバイオリン職人を目指していたのであれば、
恐らく今の境地、今の腕前には到達していなかったのではないか、と。
このコラムを通じて感じる彼の目線には、人生回り道をしてきたもの故の、
今を大切にしたいという思いが篭められていることを感じるからである。
そう考えたとき、回り道が本当に回り道だったのか。
ひょっとして、それはその人にとって必要なプロセスだったのではないか。
そうも思えてくるのだ。
勿論それは、彼の今が輝いているからに他ならない。
そして、40歳を超えた今、そのような思いに満ちて仕事をしている彼を、
心底羨ましいと思う。
それにしても…。
40歳にして、NHKの社員という安定した仕事を捨て、何の保障も無い
バイオリン職人という道を選択する。
しかも、職人として一本立ちしたのではない。
まずは、イタリアでクレモナ国際バイオリン製作学校に入学する、という、
言わばスタートラインからの出立である。
決断までには、様々な思いが脳裏を過ぎったであろうことは想像に難くない。
また、馬鹿なことを、と引き留めにも有っただろう。
が、その夢の実現に向かって突っ切った意思。
それを受け入れ、ともに歩み続けた家族の思い。
それらが結実して、今、47歳にして、イタリアの工房でバイオリン製作に
勤しむ彼がある。
こうした彼に寄り添った今回のコラムは、筆者もまた民放ではあるが
元テレビマンからジャーナリスト、あるいは画家として転進を図った、
言わば同じ目線を持つ者だからこそ、ここまで読み手にも訴求するものが
有るのかも知れない。
コラムの最後に、現在彼と同じくイタリアに在住の筆者は、ご当地の
ことわざを紹介する。
”キ・ヴァ・ピアーノ・ヴァ・サーノ・エ・ヴァ・ロンターノ”
(ゆっくり行く人は、安らかに、遠くまで行く)
いくつになっても夢を追い続ける、全ての人へ。
いいエールだ。
(この稿、了)
先日、夢を見ることについて書いた。
そして今日、夢について書かれたコラムを読んだ。
その、読者に勇気をもたらしてくれた内容に。
そして何より。
今日もまた、興味を持つことのできる新たな文章との出会いに、感謝を。
今回の主人公は、菊田 浩氏。
イタリアはクレモナ在住のバイオリン製作者である。
クレモナという地名について、皆さんはご存知だろうか?
寡聞にして、僕はこのコラムを読むまでは、知らなかったが、
あのストラディバリウスの出生地と聞けば、そこがバイオリンの
生産拠点として今も高名であることに異論のあろう余地も無い。
その地で、バイオリンを作り続け、名だたる国際コンクールの賞を取り、
その名を知られる存在となれば…。
さぞかし、若い頃からバイオリン製作一筋に努力を積み重ねて
こられた方と思えるが、しかし。
彼がバイオリンの製法について、きちんと体系的に勉強を始めたのは、
なんと40歳になってからだ、と言う。
それまでの人生でも、独学で5年ほど製作に勤しむ期間はあったものの、
元々はNHKの音響ミキサー。
楽器製作とは、何の縁も無い職場である。
唯一の共通点は、耳の良さが貢献するところ位だろう。
そんな彼が、なぜ安定した仕事を捨ててまで、バイオリンに打ち込む
ことになったのか…。
その本質的な答えは、彼自身の中にしか無いだろう。
だが、これだけは想像できる。
彼が、社会人になった当初からバイオリン職人を目指していたのであれば、
恐らく今の境地、今の腕前には到達していなかったのではないか、と。
このコラムを通じて感じる彼の目線には、人生回り道をしてきたもの故の、
今を大切にしたいという思いが篭められていることを感じるからである。
そう考えたとき、回り道が本当に回り道だったのか。
ひょっとして、それはその人にとって必要なプロセスだったのではないか。
そうも思えてくるのだ。
勿論それは、彼の今が輝いているからに他ならない。
そして、40歳を超えた今、そのような思いに満ちて仕事をしている彼を、
心底羨ましいと思う。
それにしても…。
40歳にして、NHKの社員という安定した仕事を捨て、何の保障も無い
バイオリン職人という道を選択する。
しかも、職人として一本立ちしたのではない。
まずは、イタリアでクレモナ国際バイオリン製作学校に入学する、という、
言わばスタートラインからの出立である。
決断までには、様々な思いが脳裏を過ぎったであろうことは想像に難くない。
また、馬鹿なことを、と引き留めにも有っただろう。
が、その夢の実現に向かって突っ切った意思。
それを受け入れ、ともに歩み続けた家族の思い。
それらが結実して、今、47歳にして、イタリアの工房でバイオリン製作に
勤しむ彼がある。
こうした彼に寄り添った今回のコラムは、筆者もまた民放ではあるが
元テレビマンからジャーナリスト、あるいは画家として転進を図った、
言わば同じ目線を持つ者だからこそ、ここまで読み手にも訴求するものが
有るのかも知れない。
コラムの最後に、現在彼と同じくイタリアに在住の筆者は、ご当地の
ことわざを紹介する。
”キ・ヴァ・ピアーノ・ヴァ・サーノ・エ・ヴァ・ロンターノ”
(ゆっくり行く人は、安らかに、遠くまで行く)
いくつになっても夢を追い続ける、全ての人へ。
いいエールだ。
(この稿、了)
そうだったんですね。
「耳をすませば」はあいにく観ていないのですが、そこでもこの地名(クレモナ)が出ていたとは…。
トラックバックしていただいたブログも拝見させていただきました。
私も、かつての中坊、今おじさんとして(笑)、是非脳幹のどこかに残っているあの10代前半の頃の僕に、久しぶりに会いに行くために、この映画を観てみようと思います。
ご紹介、ありがとうございました。
主人公の月島雫の恋人が、バイオリン造りの勉強に行くのがクレモナです。