壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

炉開き

2009年12月09日 10時32分18秒 | Weblog
        炉開や左官老い行く鬢の霜     芭 蕉

 炉開きは、茶式と普通のものと二通りあるが、どちらで解釈しても差し支えないと思う。
 左官が、炉の内塗りか何かをしている。芭蕉は、それをじっと見ている。その年々見慣れた左官の鬢には、いつか白いものが見えて、老いの姿がうかがわれる。そんなひとときが把握されているのである。
 左官の鬢の霜を眺め、そこに老い行く姿を見ることで、自らの上にも加わってゆく老いの姿を感じとった、しみじみとした心境の作である。
 「老い行く」という把握のうつりゆく感じは、実によく生きている。
 元禄五年(1692)ごろの作という。

 「炉開(ろびらき)」は、農家や寒い地方などで、冬になり始めて炉を開き、火を入れること。一間(ひとま)に炉を開くと、なぜか、よりどころを得て落ちついた気分になり、おのずと一家団欒の話も弾む。
 茶道においては、四月一日から九月晦日(みそか)まで風炉(ふろ)を用い、十月一日より三月晦日までは風炉を廃し、地炉(じろ)を用い釜をかけるが、その地炉を開くことをいう。
 普通の家でも、京都などでは十月一日あるいは十月中の亥(い)の日を選んで炉を開くのが習いとなっていたが、現代ではあまりこだわらない。
 「左官(さかん)」は壁塗りの職人。宮中の修理に際し、仮に木工(もく)寮の属(さかん=四等官)として出入りさせたことからの名という。
 「鬢(びん)の霜」は、白髪をたとえたもの。「鬢」は、頭の両側面の髪。

 季語は「炉開」で冬。「炉開」は、冬を迎える準備の一つであって、そのわびしさの中に、左官の老いをさみしむ思いが揺曳している。

    「冬に入るので炉を開こうとして、なじみの左官を呼んだ。この左官が黙々と
     うつむいて仕事をしている姿を見ていると、いつの間にかその鬢の毛には、
     寄る年波の霜が置かれていたことだ」


      置炬燵とはずがたりの母とゐて     季 己