壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

餅つき

2008年12月27日 22時10分22秒 | Weblog
 近所のスーパーで、真空パックの鏡餅と切り餅とを買ってきた。
 近頃では、代表的な“年用意”である「餅つき」が見られなくなってしまった。
 都会では、各家庭で正月のお餅をつくことがなくなり、ほとんどは、真空パックの切り餅をスーパーやコンビニ、あるいは通販で買ってすませる。よほど手間隙をいとわぬ家庭でも、電動の餅つき機でつきたてのほやほやを楽しむのが精一杯である。したがって、

        餅搗くや框(かまち)にとびし餅のきれ     素 十

 などという光景は見られない。

 しかし、昔の仕来たりを厳格に守っている旧家では、臼や杵が用意してあって、家中総出でお餅をついたり、賃餅の若い衆を頼んで来て、自宅の土間で餅をつかせたりするなどは、餅つきは歳末の行事の中でも、最も晴れがましい楽しみであったと思う。

        餅搗に祝儀とらする夜明かな     鬼 城

 太い薪が、パチパチと火の粉を散らして、真っ赤に燃えさかっている。もうもうと湯気を立てている釜の上の蒸籠(せいろう)。掛け声も勇ましく、ペッタン、ペッタンと休みなく振り下ろされる杵の音。調子を合わせて、吸う息・吐く息も油断のない捏ね取り。
 やがて、つきあがった一臼の餅が、真白い取り粉の上に、ドサッと投げ出されると、まわりから寄ってたかって手早く小さくちぎり、丸い小餅にされたり、四角い伸し餅になったり、品のよい鏡餅が出来上がったりする。

        餅つきや焚火のうつる嫁の顔     召 波

 要領よく分業された餅つきの、持ち場持ち場に働いている人が、すべて呼吸を合わせて、活気に満ちた一つのリズムに乗っている。昔からあった家庭行事で、餅つきほど張り合いのあるものは少なかろう。

        餅飛ぶやぱたりと犬の大口へ     一 茶

 「犬も歩けば餅にありつける」と、一茶は言いたいのであろうか。やわらかい、つきたてのお餅にパクリと噛みついた犬は、それこそ災難。牙にくっついて大変な難儀をする。
 二十年余、幼稚園で「おもちつき」を行なってきたが、園児が餅を喉に詰まらせないように、気を配り、眼を配ることが、園長の大仕事……。
 園児たちにとっては、つきたてのお餅をちぎって、黄な粉や餡子をまぶしたり、大根おろしのからみ餅にしたりと、大喜びの行事であったろう。
 もちろん、男性職員が手を添えて、園児たちに餅をつかせたりと、いろいろと楽しみの多い行事であったといえる。


      金銀の水引 餅がつきあがり     季 己