都出でて神も旅寝の日数かな 芭 蕉
人々に久しぶりに対面して、くつろいで久闊を叙しあった心のはずみが、この「神も旅寝の日数かな」によく出ている。
「神の旅」という世上の風説にすがりつつ、それがその折の心境に渾然と融合している点を味わいたい。
この句、『己が光』に、「翁つつがなく霜月初めの日、武蔵野の旧草に帰り申さる。めづらしくうれしくて、朝暮敲戸(かうこ)の面々に対して」と前書きを付して掲出されている。
年代は、元禄四年(1691)。前書き、その他から推すと、十月末に沼津で成り、十一月初め江戸到着直後、あらためて門人に示したものと思われる。
「神も旅寝の日数かな」というのは、(自分の旅寝の日数は)神無月に神も旅寝をされる、ちょうどその日数と同じだという意。
芭蕉は、九月二十八日粟津の無名庵を出て、江戸に向かい、江戸到着は、曲水宛書簡によれば、十月二十九日、『己が光』などによれば、十一月一日ということになる。しばらくして、日本橋橘町彦右衛門方に仮住まいした。
神無月(旧暦十月)は、近世の俗信に、諸国の神々が男女の縁結びを相談するために、出雲に神集いし、国々を留守にするので、神無月の名があるとされる。
これに関連して、「神の旅」の季語があり、陰暦十月一日もしくは九月三十日を「神送り」といい、十月晦日を「神迎え」という。国々では「神の留守」であるが、出雲では「神在月(かみありづき)」という。
季語は「神の旅」で冬。「神の旅」の「旅」を俳諧的に生かした発想。
「都を出て、神無月の間中ずっと旅にあったが、それはあたかも神々もその
鎮座する国々を出て、出雲に旅寝の日数を重ねるときにあたっており、こ
の私も神と相通う旅寝を重ねたものだと、感慨を覚えることだ」
三輪の山おもふ皇女(ひめみこ)神無月 季 己
人々に久しぶりに対面して、くつろいで久闊を叙しあった心のはずみが、この「神も旅寝の日数かな」によく出ている。
「神の旅」という世上の風説にすがりつつ、それがその折の心境に渾然と融合している点を味わいたい。
この句、『己が光』に、「翁つつがなく霜月初めの日、武蔵野の旧草に帰り申さる。めづらしくうれしくて、朝暮敲戸(かうこ)の面々に対して」と前書きを付して掲出されている。
年代は、元禄四年(1691)。前書き、その他から推すと、十月末に沼津で成り、十一月初め江戸到着直後、あらためて門人に示したものと思われる。
「神も旅寝の日数かな」というのは、(自分の旅寝の日数は)神無月に神も旅寝をされる、ちょうどその日数と同じだという意。
芭蕉は、九月二十八日粟津の無名庵を出て、江戸に向かい、江戸到着は、曲水宛書簡によれば、十月二十九日、『己が光』などによれば、十一月一日ということになる。しばらくして、日本橋橘町彦右衛門方に仮住まいした。
神無月(旧暦十月)は、近世の俗信に、諸国の神々が男女の縁結びを相談するために、出雲に神集いし、国々を留守にするので、神無月の名があるとされる。
これに関連して、「神の旅」の季語があり、陰暦十月一日もしくは九月三十日を「神送り」といい、十月晦日を「神迎え」という。国々では「神の留守」であるが、出雲では「神在月(かみありづき)」という。
季語は「神の旅」で冬。「神の旅」の「旅」を俳諧的に生かした発想。
「都を出て、神無月の間中ずっと旅にあったが、それはあたかも神々もその
鎮座する国々を出て、出雲に旅寝の日数を重ねるときにあたっており、こ
の私も神と相通う旅寝を重ねたものだと、感慨を覚えることだ」
三輪の山おもふ皇女(ひめみこ)神無月 季 己