壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

具象化

2011年02月07日 20時40分06秒 | Weblog
          伊勢山田
        何の木の花とは知らず匂ひかな     芭 蕉

 伊勢・外宮(げくう)の神前にぬかずいたとき、芭蕉は、尊信する西行の古歌
        何事のおはしますをば知らねども
          かたじけなさに涙こぼるる  
(西行法師家集)
 を心にしたのである。その西行の跡にしたがって、その一語一語をかみしめつつ、神前でのかたじけなき思いを自分のものにしたのであろう。
 その思いを、折しも匂ってきた何(なに)の木のものともわからぬ花の匂いで具象化したのである。すなわち、この花の香は、さだかに何の木のそれとはいえないが、限りなく心をひかれるというのであって、そこが神前にぬかずいたときの、はっきり言いあらわせない宗教的感情と通ずるわけである。
 杉風(さんぷう)宛書簡によれば、貞享五年二月四日外宮参拝の際の作。

 「花」が季語で春。何の木の花かわからぬ微妙な香りと、なぜかわからぬ感動との感合に、高度の形象化が行なわれている。

    「伊勢の神前にぬかずくと、何の木の花の香なのかはわからぬが、何とも
     いいようのない尊い匂いが感じられる。西行上人の歌も思いあわせられ
     て、涙がこぼれるばかりに、かたじけない思いがする」


      春の雲 蕉翁をよび曾良をよび     季 己