壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

両洋の眼

2009年02月01日 20時33分35秒 | Weblog
 今日から二月。四日が立春で、その日から春になる。
 強風注意報が一日中出ていた東京は、吹く風は強く冷たかったが、空は澄み切り、日は長くなり、風光にやや華やぎが感じられた。

 外出前に、玄関の絵を、脇田和『鳥の詩』に掛け替えた。ずっと押入れに眠っていての久々の登場で、やっと日の目を見たというところか。あたたかい色調に、一足早い春を感じる。

 多くの私立中学で、今日から入試が始まる。当然、合格者がいれば、不合格者もいる。残念ながら、学校側と意見が合わなかった場合には、瀬戸内寂聴さんの次の言葉を贈りたい。

 「もし自分に失望するようなことがあっても、決して自分自身を嫌いにならないで下さい。自分にさえ愛されない人を、誰が愛してくれるでしょうか」

 『両洋の眼』展の見納めということで、日本橋三越へまた行く。   
 日本画と洋画の区別を外し、一つの絵画として評価展観することに主眼を置いてきた『両洋の眼』展が、ついに20回目を迎え、そうして今回の第20回記念展を以って終止符を打つという。
 この記念展には、第1回以来出品参加した大勢の作家の方々が登場し、作品は50号までという制限があるが、全画壇の、長老、大家、中堅、新進、人気、花形が95人、一堂に揃ってまあまあ壮観であった。

 この展覧で、絵は眼で見るのではなく、心で感じるものだとしみじみ思う。だから、「見る」ではなく、「観る」でなくてはならない。
 なぜ絵画は楽しく、試験は楽しくないのだろうか。それは、試験は答えが一つしかないが、絵画には答えがないからではないか。
 95人の作家がいれば、95の顔がある。みな顔が違うから面白いのである。ところが同じような顔があるのは、どうしてだろう。

 ちなみに、95人の中から、手元に置いておきたいと切に思った作家は……
(五十音順に、敬称略)安西 大、石踊達哉、猪熊佳子、太田冬美、岡村桂三郎、奥村美佳、笠井誠一、加藤良造、河嶋淳司、菊地武彦、北田克己、絹谷幸二、斉藤典彦、佐野ぬい、菅原健彦、滝沢具幸、武田州左、中野嘉之、宮いつき、わたなべ ゆう、のちょうど20名。
 こうして好きな作家を並べて気がついた。これらの作家の作品なら、数十メートル離れた所から観ても、作家名が当てられる、ということだ。
 恥ずかしながら、これ以外の方々の作品は、近くで観ても、名を当てることは難しいと思う。つまり顔が見えないのだ。
 あらためて、イメージ・発想の豊かさの重要性に気づかされた。俳句も全く同じである。己のイメージ・発想の貧しさを痛感させられた。
 しかし、もっとひどいのは政治家と……。


      むらがりて杭を放さぬ都鳥     季 己