壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

軽薄

2009年07月21日 20時35分34秒 | Weblog
 やっと衆議院が解散された。解散というより、ほとんど任期満了である。
 それにしても、総理という職は、一度手に入れたら殺されても放したくないおいしい職に違いない、軽佻浮薄の輩にとっては。

 「管鮑の交わり」という故事がある。
 管鮑(かんぽう)とは、中国の春秋時代の管仲(かんちゅう)と鮑叔(ほうしゅく)のことである。
 二人は、貧乏書生であったころから仲がよく、二人で商売を始めた。その分け前は、管仲が多く取ったが、鮑叔は、管仲が自分より貧しいことを理解していたので、欲張りとも思わず、怒ることもなかった。
 また、管仲は、三度戦争に行って三度とも逃げ帰ったが、鮑叔は、管仲を臆病者と思わなかった。管仲に老いた母がいるのを知っていたからである。    
 その後、管仲が宰相になったとき、「私を生んだのは父母だが、私を本当に知っているのは鮑叔である」といい、この貧しい時からの交友が、生涯変わらなかったという。

      題長安主人壁         長安の主人の壁に題す
    世 人 結 交 須 黄 金      世人交わりを結ぶに黄金をもちう
    黄 金 不 多 交 不 深      黄金多からざれば交わり深からず
    縦 令 然 諾 暫 相 許      たとい然諾して暫く相許すとも
    終 是 悠 悠 行 路 心      ついに是れ悠悠たる行路の心

    世間の人は、交際を結ぶときに金の力を必要とする。
    金が多くなければ、交際も深くならない。
    たとえ、友達となることを承諾して、しばらく親しくつきあっていても、
    結局は、行きずりの人のような無関心となってしまう。

 詩題に、「長安の主人の壁に題す」と言っているからには、作者の張謂(ちょうい)が、首都長安のどこかの家に身を寄せていた時、その家の主の部屋の壁に黒々と墨書したものであろう。
 内容から見て、張謂が故郷から長安に出てきて、まだ科挙の試験に及第していない若いころの作品、といわれている。

 「金の切れ目は、縁の切れ目」という意味のことを、詩としては随分あからさまに、露骨に述べている。
 杜甫の「貧交行」も、「管鮑の交わり」という故事をふまえて、世の中の交友関係の軽薄さを述べた詩であるが、それと似た激しさがある。
 若い張謂がこういう考えを持ち、それを詩に表現し、身を寄せている家の壁に書き付けたというのは、どういうことだったのだろう。
 若い時代の潔癖さから、世間の仕組みがおぞましく見えたのか。あるいはひどい裏切りを体験したのか。いずれにしても、若い時に、このような多少、被害者意識の感じられる考え方を持っていたことは、才能がありながら、とかくつまずくことが多かった、と見える張謂の人生にも関わっていることだろう。

 これは人間不信の詩である。裏を返せば、黄金に左右されない友情を渇望している詩とも言える。
 この詩は古来、広く知れわたっている。千年以上もの間、多くの人々がこの詩を口ずさんで、世人の薄情を恨み、世間から受けた痛手を慰めてきたのだ。
 

      伊邪那岐のやうな川石 戻り梅雨     季 己