壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

安野光雅 三国志展

2008年05月12日 21時56分53秒 | Weblog
       将 進 酒      李 白
   君不見          君見ずや
   黄河之水天上来      黄河の水 天上より来たるを
   奔流到海不復回      奔流 海に到って復た回(かえ)らず
   君不見          君見ずや
   高堂明鏡悲白髪      高堂の明鏡 白髪を悲しむを
   朝如青糸暮成雪      朝(あした)には青糸の如きも暮には雪となる
   人生得意須尽歓      人生の得意すべからく歓を尽くすべし
   莫使金樽空対月      金樽をして空しく月に対せしむるなかれ
   天生我材必有用      天 我が材を生ずる必ず用有り
   千金散尽還復来      千金散じ尽くせば還(ま)た復(ま)た来らん

   君よ、見たまえ。
   黄河の水は、天上から流れ下ってくるのを。
   その黄河の激しい流れは、海に流れ込むと再びもどってはこないのだ。
   君よ、もう一度、見たまえ。
   立派な家で、明るい鏡に映った白髪を悲しんでいるその姿を。
   朝には黒糸のような髪も、夕方には雪のように白くなってしまうのだ。
   人生は楽しめるうちに、思いのままに歓びを尽くしておくことだ。
   立派な酒樽を、いたずらに月に向けておくことはないだろう。
   天が、わたしという人間に才能を与えてくれたのは、必ず何らかの役にたてさせるためだ。
   たとえ、千金を使い果たしても、いつかは廻りめぐって戻ってくるものだ。

 題の意味は、酒を酌んで客にささげること、といわれている。
 いつごろ作られたのか、諸説があり、確実な根拠はない。
 この詩は、酒の賛歌である。大いに酒を飲み、人間の背負う無限の憂愁を忘れようというのだ。下戸の変人にとっては、実にうらやましい限りである。

 起句の「君見ずや 黄河の水 天上より来たるを」の着想は、奇抜であるとともにスケールが大きい。このような奇想天外な着想は、李白の特性であり、「白髪三千丈」などは、日本人に馴染み深い。

 「安野光雅 絵本 三国志展」へ行って来た。
 日本橋・高島屋の美術の方から、招待券をいただいたので、一応、見ておこうと軽い気持ちで出かけた。ところが、ところが、軽く流すつもりが、一点ずつ、メガネを外して近くで、またメガネをかけて離れて観る。これを全作品93点について凝視したので、心地よい疲れがドッと出た。
 第1点目「三国揺籃(黄河長流 一)の解説に、作者自身こう書いている。
    天より来る水を集めて海に消える黄河のように、人は
   生き、人は黄河にはぐくまれて、かけがえのない歴史を
   つづっては消えた。なかでも「三国志」は、私たち日本人
   にも深いつながりを持つ人間世界のドラマである。中国
   の大地に立って描くうちに、あの黄河の土を絵の具にし
   て描こうと突然、思った。

 「三国揺籃」は、黄河の長流を描いたものだが、この絵の賛のように「将進酒  李白」と、題と作者名を書き、「朝如青糸暮成雪」までの詩が書かれている。
 なんと澄みきった心境であろう。何も考えられなくなり、涙がこぼれそうになってくる。
 第1点目から、こうだ。これが全作品93点あるのだ。(つづく)

 ※ 19日(月)まで。日本橋・高島屋、8階ホール。
   ぜひ、おすすめしたい。


      ふりむけば誰もをらぬよ櫻葉に     季 己