草庵の雨
起きあがる菊ほのかなり水のあと 芭 蕉
雨水の引いたあとに、菊の起き直る姿を「ほのかなり」と見出している。
この「ほのかなり」は、菊のさまであり、その菊のさまに揺らぐ芭蕉の心でもある。静かに見つめる中に、菊に滲透した芭蕉の呼吸が聞こえるようで、静かな心のはたらきが感じられる。
「草庵の雨」は、深川芭蕉庵の雨。雨によって、もともと土地が低くて湿地だったこの辺は、水が出たものであろう。
「菊ほのかなり」は、夕闇などの中にほのかに見える意か、またはかすかに匂う意か、あるいは、しずかに起きあがる気配をいうものか、はっきりしない言い方である。こういう場合の詠み方の実際から考えて、それらすべてを含めて「ほのかなり」としたものであろう。
季語は「菊」で秋。菊というものを的確に把握している。
「雨で水が流れ込んだために、草庵の庭の菊も無残に倒れてしまった。
やっと水が引いたあと、倒れていた菊もしずかに起きなおる気配が、
夕闇の中に感じられる」
菊日和 水煙越ゆる双子雲 季 己
起きあがる菊ほのかなり水のあと 芭 蕉
雨水の引いたあとに、菊の起き直る姿を「ほのかなり」と見出している。
この「ほのかなり」は、菊のさまであり、その菊のさまに揺らぐ芭蕉の心でもある。静かに見つめる中に、菊に滲透した芭蕉の呼吸が聞こえるようで、静かな心のはたらきが感じられる。
「草庵の雨」は、深川芭蕉庵の雨。雨によって、もともと土地が低くて湿地だったこの辺は、水が出たものであろう。
「菊ほのかなり」は、夕闇などの中にほのかに見える意か、またはかすかに匂う意か、あるいは、しずかに起きあがる気配をいうものか、はっきりしない言い方である。こういう場合の詠み方の実際から考えて、それらすべてを含めて「ほのかなり」としたものであろう。
季語は「菊」で秋。菊というものを的確に把握している。
「雨で水が流れ込んだために、草庵の庭の菊も無残に倒れてしまった。
やっと水が引いたあと、倒れていた菊もしずかに起きなおる気配が、
夕闇の中に感じられる」
菊日和 水煙越ゆる双子雲 季 己