壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

水鶏

2009年06月21日 20時11分20秒 | Weblog
          露川がともがら佐屋まで道送りして、共に仮寝す     
        水鶏啼くと人のいへばや佐屋泊り     芭 蕉

 『笈日記』その他に収める連句の前書きからすれば、佐屋の隠士山田氏に対する挨拶句のはず。しかし、山田氏は俳句をたしなまなかったのか、本来は亭主が付けるべき脇句を、露川(ろせん)が代わって付けている。そうしたこともあってか、『有磯海』では前書きが変えられ、はっきりと「露川がともがら」となっている。

 水鶏(くひな)の声をじかにとらえたものではなく、「と人のいへばや」という理由づけの形で言ったところには、人々の行為の中に身を置き、自分を他人の手にあずけきったいるような微妙な感じがあって、俳諧のおかしさを生む要因になっている。挨拶の句であることからすれば、もともと「水鶏啼く」ということをも、芭蕉の虚構と見ることも出来よう。

 「露川がともがら」は、露川の連衆の意。曾良宛書簡に、
   「……露川、門人独り召し連れ、道にて待ちかけ、佐屋までつき参り候ひ
    て、佐屋に半日一夜とどまり、不埒(ふらち)なる云ひ捨て十句ばかり、
    俳談少々説き聞かせ候」
 と見える。
 露川は、伊賀の生まれで、名古屋で数珠商を営み、元禄四年、芭蕉に入門した俳人。晩年はその勢力拡張に努め、門人二千余と称した。作風は平俗低調に陥った。
 「佐屋」は、いま愛知県愛西市。東海道熱田から桑名に至る海上七里の渡しが風波の激しいときは、陸路六里佐屋へ出て、木曾川を三里舟で下り、桑名に至るコースをとり、佐屋廻りといった。

 「水鶏」は、ツル目の鳥で数種類あり、キョッキョッキョキョ、あるいは、コッコッコッと高い声で啼くのは緋水鶏(ひくひな)である。繁殖期の五月から八月にかけて、全国各地の水辺に巣を作る。ことに、六月ごろの交尾期になると、雄はカタカタカタと、あたかも戸をたたくような声で啼くことから、それを「水鶏たたく」と呼ばれている。
        叩けども叩けども水鶏許されず     虚 子

 「いへばや」は、已然形に助詞「ば」・「や」が接続したもの。「や」は、切字ととることも考えられるが、疑問の係助詞と見て、「人のいへばにや」と解したい。『古今集』秋上・忠岑の歌に、
        久方の 月の桂も 秋はなほ
          紅葉すればや 照りまさるらむ
 というような言い方があるところから、抵抗なしに用いられるに至った語法かも知れない。「紅葉すればや」の「や」は、明らかに係助詞である。
 水鶏は、春に日本にやって来て、秋に南の方へ去るので、夏の季語となっている。背はオリーブ褐色、下面は赤褐色で、一度見たら忘れられない印象的な色彩である。脚が長く、歩き方も一風変わっている。


      東雲をたたく緋水鶏 沼明り     季 己