壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

感謝する

2009年03月18日 20時15分44秒 | Weblog
    「何ごとも、感謝されたいと思って何かをするのではなく、
     そうさせてもらえることを自分自身で感謝することが大事です」

 これは、2009年版 瀬戸内寂聴 卓上カレンダー「招福」3月にある言葉。
 簡単に言えば、「よろこんで与える人間となろう」ということだろうか。
 この“よろこび”は、単なる歓喜ではない。おわびと感謝の心で、物品や行為に執着なく他に差上げることのできる“よろこび”である。
 したがって、“与える”といっても、自分は大金持ちだからとか、地位が高いからとかいう思い上がりからではない。差上げる方から「ありがとうございます」と、もらって頂けるご縁に感謝する行ないである。

 よろこんで与える行為を“布施”という。布施(ふせ)の“布”は布(し)くと読む。カーペットを床に布くように、世間に施(ほどこし)を布きめぐらすのが布施である。
 布施は金品がなくても、また誰もが、いつ・どこででも出来る。これを“無財施(むざいせ)”という。
 無財施は、資財がなくても出来る布施という意味だけではない。差上げる行為も、また相手の大きな喜びも金額に換算できない絶対の価値であるから無財と呼ぶ。
 では、このような無財施とは何であろうか。たとえば、やさしいほほえみ・あたたかい言葉やまなざしなどは、お金がなくても出来る。
 まだある。おもいやりは物がなくても出来る。乗物の中などで、座席を譲るのにもお金は要らない。
 お客に対しても、思い出に残るような、家庭や職場のよい雰囲気も、まごころがあれば出来るのである。

 中国にこんな話がある。
 5世紀の中頃から6世紀の半ばごろにかけて、中国では梁(りょう)という国が大国であった。ことに武帝は、仏法に深く帰依(きえ)し、多くの寺を建て、有為な僧を育成し、仏教護持につとめた。また武帝は、自分から進んで袈裟をかけて、仏典の講義をしたり、経典の注釈書を著したり、写経にも励んだので、世間からは「仏心天子」と呼ばれて尊敬されていた。
 ちょうどそのころ、達磨大師は、インドから海路、広州(広東省)へ上陸した。
 武帝は、広州の知事からこの知らせを聞いて大いに喜び、礼を厚くして達磨を首都の金陵(南京)に迎えた。
 武帝は得々と、自分がしている仏法護持や篤信の実践を披瀝し、ついに、「これだけのことをしているが、如何なる功徳があるか」と達磨に意見を求めた。もちろん、武帝は、達磨の答えに期待をかけたろう。
 しかし、達磨の答えは、ひどく武帝を失望させた。いわく「並びに無功徳(いずれも功徳にならぬ)」と。功徳とは、善行の結果として得られる果報や恩恵をいう。これこれの善事をしたのだから、それ相応の見返りを算定するなら、それは功利的行為で、宗教的実践ではない。

 われわれは悪い行為をする可能性を十二分に持っている、にもかかわらず悪に流れず善ができることそれ自体が大きな恩恵であろう。
 そのほかに何か利益があると考えるのでは、欲が深すぎる。しかも、われわれは他のためにした善行はよく覚えているが、他から恵まれた恩は忘れがちだ。

 達磨の言い切る無功徳は、前述のような道徳律を超え、あらゆる執着心を奪いあげるはたらきを持つ。信心であろうと財産であろうと、執着心がはたらいたら無功徳だ。富める者の執着だけではない。「飢人の食を奪う」と、一切の執着心を根こそぎ奪い、捨て切ろうとする。
 執着心がないとする執着心をも殺しつくすのが、無功徳の語なのである。

 やれ観光ボランティアガイドだ、やれ日本語ボランティアだ、などと吹聴しているうちは、ほんまもんのボランティアではないのだ。そんなことは忘れ、いや忘れたことさえ忘れて、ひとさまのお役にたてることを感謝することが大事なのだ、とあらためて反省させられた。


      小綬鶏のこゑ暁を鷲づかみ     季 己