蓬莱に聞かばや伊勢の初便り 芭 蕉
――すべては、靜けさにもどることだ。深い淵のように。
去来はそう思い、心を空(うつ)ろにした。
見えなかったものが見えてきた。
元禄七年(1694)、師の芭蕉が亡くなる八ヶ月ほど前の、春のことである。
この年、芭蕉は、歳旦吟として、
蓬莱に聞かばや伊勢の初便り
と詠んだ。
この句を含め『歳旦帳』として、出版するつもりであった。
ところが、弟子たちをはじめ、世間の評判が今ひとつなのだ。
芭蕉は、「あの去来ならわかるであろう」と思い、早速、書状をしたためた。京都・嵯峨野の去来のもとへ。
「わたしの歳旦吟については、さまざまな批評があります。あなたはどのように解釈しますか。ぜひ、あなたの意見が聞きたいものです」と。
深川芭蕉庵の、師からの手紙に、去来はしばらく考えた。
「なぜ、故郷ではなく伊勢なのだろう。わからない」
蓬莱と伊勢との関係がわからないので、意味がはっきりしないのである。
さらに、“蓬莱に”が、「蓬莱に向かって」なのか、「蓬莱の飾られたところで」なのか、それとも「蓬莱に触発されて」の意なのか、迷っているのだ。
“に”は、かなり微妙な味わいを含んでいることは、わかっていた。
去来は、心を静めて、坐した。――すべては、静けさにもどることだ……
そうして、「蓬莱」からくる連想をたどっていった。
「蓬莱」とは、三方にウラジロ・昆布などを敷き、その上に、米・柑子・伊勢海老・数の子・ごまめ・のしアワビ・勝栗・野老(ところ)・串柿などを積み重ねて、蓬莱山をかたどった縁起物のことである。
むかし新年に、床の間に飾る風習があった。家族で食べる真似をし、年賀の客にもすすめ、客もまた食べる仕種をする。豊作や長寿を祈願したものであろう。
「蓬莱に聞かばや…、ほうらいに…」とつぶやきながら、去来は、
古式ゆかしい蓬萊飾 → 神代の神々しさ → 伊勢神宮の清浄な神域 → 待たれる伊勢からの初便り
と、連想を広げていった。
「芭蕉先生が、このまえ伊勢に行かれたのは、
蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ
と詠まれたときだから、元禄二年。足かけ六年になるのか。
そうか、先生はまた“そぞろ神”に憑(つ)かれて、旅に出たくなったのだ。“聞かばや”の“ばや”は、先生の気負いこんだ、一途な願望の表れに違いない」
そう確信した去来は、すぐさま返事を書いた。深川芭蕉庵の師のもとへ。 (つづく)
夕立の棒に堪へたる雀かな 季 己
――すべては、靜けさにもどることだ。深い淵のように。
去来はそう思い、心を空(うつ)ろにした。
見えなかったものが見えてきた。
元禄七年(1694)、師の芭蕉が亡くなる八ヶ月ほど前の、春のことである。
この年、芭蕉は、歳旦吟として、
蓬莱に聞かばや伊勢の初便り
と詠んだ。
この句を含め『歳旦帳』として、出版するつもりであった。
ところが、弟子たちをはじめ、世間の評判が今ひとつなのだ。
芭蕉は、「あの去来ならわかるであろう」と思い、早速、書状をしたためた。京都・嵯峨野の去来のもとへ。
「わたしの歳旦吟については、さまざまな批評があります。あなたはどのように解釈しますか。ぜひ、あなたの意見が聞きたいものです」と。
深川芭蕉庵の、師からの手紙に、去来はしばらく考えた。
「なぜ、故郷ではなく伊勢なのだろう。わからない」
蓬莱と伊勢との関係がわからないので、意味がはっきりしないのである。
さらに、“蓬莱に”が、「蓬莱に向かって」なのか、「蓬莱の飾られたところで」なのか、それとも「蓬莱に触発されて」の意なのか、迷っているのだ。
“に”は、かなり微妙な味わいを含んでいることは、わかっていた。
去来は、心を静めて、坐した。――すべては、静けさにもどることだ……
そうして、「蓬莱」からくる連想をたどっていった。
「蓬莱」とは、三方にウラジロ・昆布などを敷き、その上に、米・柑子・伊勢海老・数の子・ごまめ・のしアワビ・勝栗・野老(ところ)・串柿などを積み重ねて、蓬莱山をかたどった縁起物のことである。
むかし新年に、床の間に飾る風習があった。家族で食べる真似をし、年賀の客にもすすめ、客もまた食べる仕種をする。豊作や長寿を祈願したものであろう。
「蓬莱に聞かばや…、ほうらいに…」とつぶやきながら、去来は、
古式ゆかしい蓬萊飾 → 神代の神々しさ → 伊勢神宮の清浄な神域 → 待たれる伊勢からの初便り
と、連想を広げていった。
「芭蕉先生が、このまえ伊勢に行かれたのは、
蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ
と詠まれたときだから、元禄二年。足かけ六年になるのか。
そうか、先生はまた“そぞろ神”に憑(つ)かれて、旅に出たくなったのだ。“聞かばや”の“ばや”は、先生の気負いこんだ、一途な願望の表れに違いない」
そう確信した去来は、すぐさま返事を書いた。深川芭蕉庵の師のもとへ。 (つづく)
夕立の棒に堪へたる雀かな 季 己