今頃になってまた、「地方自治法施行60周年記念千円銀貨(北海道)」の代金払込のご案内が届いた。
抽選は6月下旬に終了しているので、七月上旬には当選者に、代金払込のご案内を発送しているはずである。
それが、変人宅には8月上旬に2通、その2日後に妹宅に1通、そして今回、妹宅に1通届いたという次第。
おそらく大量にキャンセルが出たのであろう。キャンセルの穴埋めに順次、抽選で外れた人の中から補充し、それでもキャンセルが出て……という具合に、代金払込のご案内を送付しているに違いない。
なんでも値上げ、値上げのご時勢に、千円銀貨を6千円で発売?するのだから、そう簡単に発行数、十万枚を完売できるわけがない。造幣局の見込み違いでもあろう。
コイン商の価格も、良心的なT社では1万1千円、派手な宣伝のY社は1万6千円。ちなみに、Y社の買入れ価格は9千円である。
今後、8年間にわたって47種類も発行されるカラーコイン(千円銀貨)。購入者は、コレクターと値上がりの期待をも含めた楽しみ方をしている人であろう。
年内には、京都府版が10月ごろ、島根県版が12月ごろに発行されることは、正式決定している。
6千円で購入した千円カラーコインが、3千円でも処分できない、という事態が起こらないとも限らない。
願わくは、コレクターが泣きをみぬよう……。
夏の月御油より出でて赤坂や 芭 蕉
夏の夜の月は、出たと思うとすぐに入ってしまう。
まるで、東海道五十三次の中で、御油(ごゆ)を出てから、
たった十六町で赤坂へ着いてしまうのと、同じような感じである。
実景を詠んだものではなく、夏の夜の短さを、東海道五十三次中、最も短い御油・赤坂間の距離(十六町)で、比喩的に仕上げたのが一つの作意。
もう一つは、その短い夏の夜の月が、御油から赤坂まで歩くのだと、月を擬人化して言ったところを見るべきであろう。
手法は、談林そのものであるが、芭蕉独自の感性がおのずからにじみ出ている点に注目したい。
芥川龍之介は『芭蕉雑記』の中で、「御油」、「赤坂」などの地名の与える「色彩の感じ」と「耳に与える効果」とは、いかにも旅人の心らしい、と言っているが、傾聴すべきである。
「御油」という地名と、そこから出た赤い月の感じを「赤坂」という地名にかけたところには、たしかに色彩感があり、音調のなだらかさとあいまって一種の美しさが感じられる。
元来、御油と赤坂とは海道でも知られた“たわれ女”の多かった所。ことに赤坂は古来、東海道随一の遊興の地で、以前は大いに繁盛した土地柄である。
句の裏に、遊興地の御油泊りだった旅人が、たった十六町の赤坂で、留女の手に引留められてしまうことを写しているのであろう。
この句は、東海道の旅の経験を土台として生かしているところがあり、そこが新味だったわけである。
芭蕉が、二十年後になって、「今もほのめかす一句」としているのも、なかなか暗示的である。
この句は、「景が見える」・「リズムがよい」・「自分をうたう」の三拍子そろった佳句だと思う。
酢のごとく烈しきものを男郎花 季 己
抽選は6月下旬に終了しているので、七月上旬には当選者に、代金払込のご案内を発送しているはずである。
それが、変人宅には8月上旬に2通、その2日後に妹宅に1通、そして今回、妹宅に1通届いたという次第。
おそらく大量にキャンセルが出たのであろう。キャンセルの穴埋めに順次、抽選で外れた人の中から補充し、それでもキャンセルが出て……という具合に、代金払込のご案内を送付しているに違いない。
なんでも値上げ、値上げのご時勢に、千円銀貨を6千円で発売?するのだから、そう簡単に発行数、十万枚を完売できるわけがない。造幣局の見込み違いでもあろう。
コイン商の価格も、良心的なT社では1万1千円、派手な宣伝のY社は1万6千円。ちなみに、Y社の買入れ価格は9千円である。
今後、8年間にわたって47種類も発行されるカラーコイン(千円銀貨)。購入者は、コレクターと値上がりの期待をも含めた楽しみ方をしている人であろう。
年内には、京都府版が10月ごろ、島根県版が12月ごろに発行されることは、正式決定している。
6千円で購入した千円カラーコインが、3千円でも処分できない、という事態が起こらないとも限らない。
願わくは、コレクターが泣きをみぬよう……。
夏の月御油より出でて赤坂や 芭 蕉
夏の夜の月は、出たと思うとすぐに入ってしまう。
まるで、東海道五十三次の中で、御油(ごゆ)を出てから、
たった十六町で赤坂へ着いてしまうのと、同じような感じである。
実景を詠んだものではなく、夏の夜の短さを、東海道五十三次中、最も短い御油・赤坂間の距離(十六町)で、比喩的に仕上げたのが一つの作意。
もう一つは、その短い夏の夜の月が、御油から赤坂まで歩くのだと、月を擬人化して言ったところを見るべきであろう。
手法は、談林そのものであるが、芭蕉独自の感性がおのずからにじみ出ている点に注目したい。
芥川龍之介は『芭蕉雑記』の中で、「御油」、「赤坂」などの地名の与える「色彩の感じ」と「耳に与える効果」とは、いかにも旅人の心らしい、と言っているが、傾聴すべきである。
「御油」という地名と、そこから出た赤い月の感じを「赤坂」という地名にかけたところには、たしかに色彩感があり、音調のなだらかさとあいまって一種の美しさが感じられる。
元来、御油と赤坂とは海道でも知られた“たわれ女”の多かった所。ことに赤坂は古来、東海道随一の遊興の地で、以前は大いに繁盛した土地柄である。
句の裏に、遊興地の御油泊りだった旅人が、たった十六町の赤坂で、留女の手に引留められてしまうことを写しているのであろう。
この句は、東海道の旅の経験を土台として生かしているところがあり、そこが新味だったわけである。
芭蕉が、二十年後になって、「今もほのめかす一句」としているのも、なかなか暗示的である。
この句は、「景が見える」・「リズムがよい」・「自分をうたう」の三拍子そろった佳句だと思う。
酢のごとく烈しきものを男郎花 季 己